スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

「自由」を獲得するための大学生活

そろそろ大学受験シーズンが到来します。今まで一生懸命に勉強してきた成果を出す場面です。それが終われば、人生で最も自由度が高い学生生活が待っています。この「自由度が高い」というのが大学におけるカギとなる要素だと思いますが、「自律」が要求されることになり、「自立」を手に入れる機会でもあります。

宮武久佳『「社会人教授」の大学論』(青土社、2020年)に、大学生の素朴な意見が出ていました。大学とは何かという問いに対する回答として、「人生の夏休み」というのがあったそうです。たしかに、大学時代が人生で最も好きなことができるし、自由度が高いので、「人生の夏休み」というのは言い得て妙です。しかし、本当に夏休みにしてしまうと、その後の人生の自由度を失います。それは奴隷制への道のりになります。

なぜ、そのようなことを思うかというと、日本の小中高の教育は、とにかく与えられた問題を機械的に回答していく作業を身につける場となっています。自分で考えることができるようになる教育などといいますが、自分で課題を発見し、自分で分析方法を見つけ出し、自分で答えをみつける、ということを学べる機会はほとんどないでしょう。

そのような機会は大学教育において、はじめてやってきます。しかし、ここで夏休みを取ってしまえば、そのチャンスを逸します。結局、小中高までの与えられた課題に対して回答をみつける技術だけが学生の拠り所、あるいはノウハウになります。そして、そのまま就職して会社の指示・命令に従い業務遂行するのにはとても有効です。疑問を差しはさまずに、とにかくやる。これは会社にとっても便利でしょうし、社会の効率からいっても有用なのだと思います。

たとえば、海外と比較すれば、明らかに日本人は従順です。上の指示には従うし、社会のマナーやルールを尊重します。中学生の二男がフランスに一人旅をしていますが、電話で話したときに印象的なことをいいました。

「お父さん、日本のトイレはすごいね。フランスのトイレはどこも汚いし、壊れていることも多いよ」

その通りです。日本人が誇れる世界一きれいなトイレは、このような日本の教育がもたらした産物かもしれません。世界の人がやめたマスクを、いまだに感染対策として着用して、私たちは正しいことをしているのだと信じている社会も、日本の教育がなければ実現しないことでしょう。

しかし、長い社会人としての道のりを、指示待ちの兵隊として過ごすのは、とても苦痛ではないかと思います。それでも、多くの大学生は、社会に出てから会社の管理下に置かれて、社畜として働くことが一般的なことだと信じ込まされているので、あまり疑問を持たないのかもしれません。いい大学に入り、いい会社に就職することができれば、それなりの幸福が待っている。それを信じるのであれば、それでよいと思います。人生の最期まで、その信念が持続することを祈ります。

一方で、この自由度の高い大学生活において、自分で課題をみつけて、自分で学び、自分で解を導き出す時間に費やした場合、おそらく人とは違う人生を歩むことが可能になると思います。この「人生の夏休み」といわれる期間に、学ぶクセを身につけ、自分で考える訓練をし、何をもって社会に貢献していくのか、ということを考えた人が、型にはまらない生き方をすることが可能になるのだと思うのです。すなわち、自由を手に入れることができるのです。また、あらゆる課題に、回答は一つしかない、ということはないということを学ぶのも大学かもしれません。正しい答えが一つしかないほど世界は単純ではないということに気がつくということでしょうか。

自分の長男もこれから大学受験です。志望校に合格するかどうか以上に、どの大学でもいいので、本当に自律するための学ぶクセを身につけて、自由度の高い人生を歩んでもらえたらいいと思います。最近、人生の本当の豊かさは「自由」なのではないかと思うからです。