スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

今こそ日本の歴史と伝統を見直す

パンデミックがはじまって以来、日本の対応が他国に比べて緩慢で、規制も非常に緩やかであることが不思議でならなかった。これだけ世界がグローバル化したというにも関わらず。また、死者数が少ないことも、同じ人間でありながら不可解な点である。これはあくまでも推測であるが、やはり長年かけてできあがった社会システムが西洋諸国と比べて特異なのだと思われる。

まず保守的な伝統を持つ国家であることは大きい。歴史を振り返れば、江戸時代は鎖国政策をとっていたので、長らく日本の伝統は守られていた。その後、開国を迫られ、西洋文明が流入して、あらゆる分野で近代化がはかられたが、それでも日本語という言語としての特殊性や、日本の伝統を重んじる日本人の気質が参入障壁となって、西洋諸国の影響は制限されていたのではないだろうか。

直近でも1996年から金融ビックバンにより自由化が加速したが、それほど外資系金融機関が市場占有率を増やしたということはない。引き続き日本の金融機関が重要な地位を占めている。もちろん、株主に外国資本が入っていきている事実は忘れるわけにはいかないが。その点、外国資本にしてみると、攻略に時間のかかる市場が日本なのかもしれない。

一方、あらゆるところで日本の伝統は破壊されている。今は日本語が軽視され英語が重視される。学問はドイツ、フランス、イギリス、アメリカの理論が重宝される。ビジネスもアメリカの理論が正しい前提で進められる。そして、日本独自のものはなかなか評価されない。しかし、今こそ歴史に学び、日本の伝統を大切にすべき時期はないかもしれない。

ダイヤモンド・オンラインの西部邁「安倍首相は「真の保守」ではない!西部邁氏が迷走政治を一刀両断」(2017年10月3日)記事では、本来の保守とは、その国の伝統を守ることであるという。

安倍首相は「真の保守」ではない!西部邁氏が迷走政治を一刀両断 | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)

この記事で驚いたことに、西部氏がアメリカは左翼国家であり、ロシアと同じであることを指摘している点がある。アメリカもロシアも歴史から伝統を学べない二卵性双生児であると。アメリカは自由と平等を理念とする草の根の民主主義で伝統を失い、ロシアは歴史があったものの革命で伝統を失った。西部氏のコメントからも明らかなように、伝統を重んじることが、国家の進路決定にいかに重要なのかが示唆される。

今世界をみると、オーストラリア、ニュージーランド、カナダといった歴史の浅い国家あるいは伝統といえるほど堅固な基盤がない国家が容易に共産主義化あるいは全体主義化してしまったことが理解できる。この事実を知ると、いかに歴史の積み重ねや伝統が大切であるかが再認識できる。先人のおかげで、まだ日本は未来の可能性を維持しているともいえる。対応が遅いこと、規制が緩やかなことは、日本の伝統のおかげなのかもしれない。

検証が十分ではないものの、以前「コロナ死者数の付替えの可能性はデマか?」(2021年8月6日)で述べたように、もし仮にコロナ死者数の付替えがあり得るとするなら、コロナの死者数が少ないことでさえ、日本の伝統のおかげかもしれない。すなわち、西洋のシステムに完全には取り込まれていないから死者数が少ないという仮説はあり得るだろうか。

コロナ死者数の付替えの可能性はデマか? - スペシャリストのすすめ (specialistbiz.jp)

日本人の免疫機能がコロナに強いという説明もあるが、同じ人間でありながらそこまで大きな差異が生じるのだろうかという疑いである。大きな虚偽が成立しずらい国。企業の粉飾決算をみてもアメリカの巨額詐欺事件に比べれば嘘のスケールが小さい。もちろん、企業の資産規模の大小も関係するが、日本における人を欺くスケールが小さいのはなぜだろうか。

いずれにしても、私はリベラルのほうが寛容の精神で、より望ましいと考えていた。自分はリベラルだと思っていた。しかし、実は伝統を重んじないリベラルは、外側からなんでも取り込んで、簡単に自分を見失う危険をはらんだ立ち位置であることを、今になって気がついた。その点、西部氏の指摘は自分に深い理解を与えるには十分である。リベラルは多様性を認めるという姿勢を示しつつ、価値観を容易に支配者の価値観に転化することが可能であるということ。自分の軸というものが簡単に揺らぎ、それを喪失させるのがリベラルなのだろう。日本は幸運にも、時間的な余裕が与えられている。しっかりと、日本の歴史と伝統を見つめ直すときかもしれない。真の保守に戻る時間的余裕があるはずだ。