スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

LGBTは男性性と女性性の統合という考え

LGBTとは、レズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシュアル(Bisexual)、そしてトランスジェンダー(Transgender)のことになる。LGBTを受け入れることは寛容であるとか差別主義者ではないということで、進歩的な思想の持主と評価されそうである。その逆は、非寛容で差別主義者ということになりやすい。そして、LGBTは差別問題と絡んで政治の道具にされることも多いようである。

私は主義主張や思想哲学の問題、あるいは保守やリベラルという問題は横に置き、LGBTを受け入れることにはなぜか抵抗がなかった。自分自身は、LBGTのいずれにも該当していないように思うが、認識していないだけかもしれない。いずれにしても誰もが男性性と女性性の両方の性質を持っており、ある人にとって自分の反対側の性が強く顕在化してしまい異性を愛せないとか、ある人にとっては絶妙なバランスを取るために、どちらの性質も備える必要があるということなのだろうと考えていた。

このように考えるきっかけになったのは、ジナ・サーミナラ『転生の秘密』(たま出版、1985年)で紹介されている眠れる予言者エドガー・ケイシーの思想を知ったからである。エドガー・ケイシーは、リーディングといわれる透視を通して、人の病気を癒したり、人に人生の課題に解決策を提示したりすることができた人物で、アメリカにおけるニューエイジに強い影響を与えたようである。彼のリーディングの中には、多くの人が転生を通じて男性と女性を経験し魂がバランスを取っているのではないかと思われる事例が多い。

たとえば、男性と女性には、それぞれ典型的な性格があり、力、攻撃性、積極性、支配性、非情などが男性性の属性であり、服従性、受動性、柔和、親切などが女性性の属性になる。そして、性と肉体の不一致が生じている場合、たとえば、男性的な性質を強く持った女性については、社会が彼女に期待する役割を考えると、彼女は社会において非常に生きにくく不愉快に感じることが多くなる。その結果、彼女の内なる自我はバランスを回復するために、前生で男性だった状態に戻ることが解決方法となり、たとえば、彼女が男性の性質を強く保持するために女性を愛するという同性愛を選ぶことになる。このように考えると、世の中に一定数の同性愛者やトランスジェンダー等が存在することが不自然ではないと感じるようになった。

また、前生で男性であったために男性的特質を強く持ってい女性は、必ずしも結婚の妨げにならないが、結婚をより困難にし、ときには子どもを産む能力を妨げることがあるという。そして、大切なことは、どのようなカルマが自分にあろうと、精神修養と自己変革の機会であると承知しなければならないという。

このような輪廻思想を前提にすると、男性的性格が過度に強化されるとき、邪悪が生じる。それゆえ、女性の極性をもつ長所によって補う必要が出てくる。この補足は、ある程度、異性との結合つまり結婚によって達成される。しかし、変化はなお不完全である。一生という長さで、男性的霊魂が、相手によって女性の美徳へと調整されるにしても、不十分にしかできない。その逆も然りである。しかし、ときには女の肉体へ、またときには男の肉体へと連続的に生まれ変わることによってお互いに必要な矯正が行われる。そしてときには、性と肉体の不一致も経験することによって、合理的に統合の道筋を進む。よって、このような視点から考えると輪廻思想に対する理解は、LGBT問題の理解の手助けになるのかもしれないと思った。

過去に仲の良い男性二人に、お互いがパートナーであることを告白されたときには、まったく驚きはなかったし、フランスの知り合いで、複数の同性カップルがいるが、違和感なく受け入れることができるのは、人間は転生を通じて男性と女性を経験して、バランスをとっているからと考えているからかもしれない。意外にも輪廻転生を受け入れることは、世の中における複雑な事象に対する情報処理能力を飛躍的に高めるのではないだろうか。そんなことは常識的にあり得ないとか、科学的に受け入れられないとか、論理的に不可能だ、という結論に至りにくいのは確かだと思う。