中央公論の2021年5月号に「陰謀論が世界を蝕む」という特集があった。著名な学者の対談や論稿が掲載されており興味深く読んだ。ただ「陰謀論=誤り」とい前提で議論が進められていることが不思議であった。読み終える前に答えはすでに出ているので、最後まで読む価値があるのかとも思えた。
著名な宗教学者の森本あんり氏は、アメリカで渦巻く陰謀論について、陰謀論を生み出す土壌がアメリカの個人主義、すなわちプロテスタント信仰にあるとする。自分が聖書を読んで納得すればそれでいい、自分の解釈でいいのだというところがあるおかげで、陰謀論と親和性があるという。ルターは誰もが神とつながれる「万人祭司主義」が個人主義と結びつき、自分の内面の経験こそが真理の基準であり、自分が感動したことが正しいということになりかねない、と危惧する。
私はプロテスタントにもカトリックにも与するつもりはないが、何か偉大な人物や権威がいうことが正しいということを疑うことは健全ではないかと思うので、個人主義だろうがプロテスタント信仰だろうが自分の感覚や理解を大切することに問題はないと思える。自分で調べて自分で考える態度や、自分が肌で感じる印象や、求めて得る直感を大切にする姿勢こそ今求められていると思うからである。
さらに、突拍子もない言説にはファクトチェックが重要だといわれるが、信じ込んでいる人にファクトチェックは効かないと、陰謀論を信じる人をファクトチェックで救えないことを述べる。その言葉には、そもそも陰謀論の中に真実がないことが前提となっており、そのような心的態度が知識人として正しいという立場なのだと思う。しかし、ファクトチェックがなぜ正しいのか、どうして信じていいのか、そこに疑問を感じない権威主義のほうが問題ではないかと思う。
ファクトチェック(fact checking)は、その情報の正確性や妥当性を検証する行為で、事実確認とも呼ばれる。そして情報の真偽を検証する機関として、アメリカにはペンシルベニア大学が運営するFactCheck.org、ワシントン・ポスト紙がサイト内で運営するファクトチェック企画のFact Checker、タンパベイ・タイムズ紙が運営するポリティファクトなどが存在するが、これらの機関が正しい結論を出しているという証拠はどこにあるのか。
企業や証券化商品の信用格付を提供する格付機関の評価が本当に正しいかと疑う姿勢が大切なのと一緒で、これらのファクトチェック機関が中立的で正しい判断をしているかどうかと考えるほうが健全ではないだろうか。格付機関もしばしば誤り、あるいは証券化商品を販売するために意図的に虚偽の格付けを提供してきた経緯があることを思い出してもらいたい。
日本にも一般社団法人日本報道検証機構や一般社団法人日本ジャーナリスト教育センターの機関が存在するが、今後、それらのファクトチェックを鵜呑みにする人が増えることは、陰謀論を鵜呑みにする人が増えることと同じぐらい危険であるといえないだろうか。
神を信じる、権威に従う、知識人の言説を信じる、公的機関の情報に依存する、マスメディアの情報を浴びる、救世主の登場を待望する、ある人の予言を信じる、これらは結局のところ、自分を信じる以上に他者を信じていることになる。最後は自分を信じるという判断をもう少し尊重してもよいと思う。そのような意味では、陰謀論もファクトチェックも私たちから本来持っている力を奪う装置だともいえそうだ。