酒井吉廣「コロナで待ったなし、国立大学の改革を支える自主財源の拡大」金融財政事情72巻3号(2021年)を目にした。昨年、東京大学が大学債を発行したのをきっかけに、大学の独自経営には自主財源の拡大が必要ということである。
世界の大学債は、残高ベースでアメリカが世界の約7割を占めるそうである。その事実をみれば、アメリカの大学は資金調達に積極的で競争原理の中で戦っており、だから世界ランキングにも常に上位にくるのだろうと思う。
その真似をして東大も大学債を発行するということであるが、なぜ国立大学が借金をしなければいけないほど、日本の高等教育が落ちぶれてしまったのかと思う一面もある。
あらためて、東大の財務諸表をみてみたが、民間企業の資本金にあたるところに「政府出資金」があり約1兆円と記載されている。ちなみに、学校法人としての私立大学の資本金は「基本金」というようである。そして、東大の大学債の発行額が200億円で期間が40年ということであるが、政府が200億円増資して政府出資金を1兆200億円にすることで済むことだと思った。
そもそも、40年の償還期限が来る頃に、大学債を発行しようと意思決定した人も、その大学債を購入しようと意思決定した投資家もこの世に存在していないのではないか。格付情報センター(R&I)によると東大の信用格付けがAA+で安定的ということであるが、国家が債務不履行を起こすことはあるのだから、国立大学であれば破綻しないとは言い切れない。
東大にとって大学債はそもそも借金であり、いずれは返さなければならないお金である。借りたお金をもとに儲けて借りた金額以上の額を投資家に返済する必要がある。投資家は金貸しをしているだけで慈善事業ではないので、期限には金利を付けて返してもらわなければならない。このような構図であるが、国立大学の本来の資金調達方法は国が資本として投入すべきものではないかと思った。
なぜ、日本の大学もアメリカやイギリスのように自由主義経済の中で運営されなければならないのだろうか。各大学が気にする世界ランキングもイギリスのタイムズ紙のもので、彼らが英語圏以外の大学を評価できるわけがないように思う。しかし、日本人は日本の大学には競争力がなく、世界ランキングにも上位に入れないと嘆く。
しかし、そもそも英語圏の雑誌が作ったランキングなので、英語圏に留学生を呼び寄せるマーケティングの道具でしかないはず。よって気にする必要などまったくない。また、競争力が必要というが今の日本の大学をみれば不毛な競争の中で疲弊してしまいイノベーションなど起こりようがないと思われる。無駄が多く回り道する余裕があるときにこそイノベーションは起こるのであり、毎日、研究費を獲得するために企画書や申請書ばかり書いているようでは、イノベーションが起こりようはない。
そもそも政府が増資せずに国立大学に大学債を出させるということは、大学に自立して稼げということをいっているのだと思う。大学債は社債と同じく、いつか決められた利回りを付けて償還期限に投資家に返済しなければならない。よって大学は儲けるということが前提で、ビジネスとして運営を考えろということであろう。しかし、本来高等教育については、国が「未来への投資」ということで資金提供すべき分野のはずである。日本の場合、国がその役割を放棄したことになる。ここでも自助努力が必要ということであろう。高等教育をビジネスと考える発想はアメリカからきたものとしか思えない。
未来への投資によって高等教育を受けた人が社会で活躍して、いずれは税金を支払ってくれる存在になる。今、優秀な人材を育てる投資をして、その人たちに稼いでもらい、世界で事業展開してもらい、将来その投資資金を税収という形で回収する発想が今の日本にはない。あるいは、その優秀な人材が新しい事業を次々起こして日本経済を活性化するという未来がみえていない。結局、今しかみていない人には未来への投資はできない。競争原理、自由市場経済、自己責任、自助努力などを格好のいい理念だと思っていれば未来への投資という発想にはならないのであろう。
世界をみればドイツやフランスの大学では授業料が不要で登録料のみで済むし、ノルウェーの大学なども留学生を含めて授業等は無料ということである。あらゆる人に教育を受ける機会を平等に提供し、未来の国を担う人材を育てようという思想があると思う。あるいは、世界に貢献できる人材を育てようということかもしれない。そこには金儲けの発想は微塵もない。
前出の酒井氏は、日本の大学は授業料が安く、寮費などもの生活コストも非常に低いという特徴がある、という。アメリカやイギリスしかみていない有識者がいう典型的なコメントかもしれない。「海外=米英」になっているとしか思えない。アジアや中東、せめてヨーロッパ大陸ぐらいみてほしいと思う。