スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

83歳のおじいちゃんを叩きのめした世間

森喜朗氏が辞任したことで、多くの人はすっきりしたのだろうか。何か達成感は感じたのだろうか。

森氏の孫娘による記者との一問一答を読んだ。結局、83歳のおじいちゃんの発言をとらえて、みんなで叩きのめしただけにしか思えなかった。

女性蔑視を感じることがあるかという記者の質問に対して孫娘は次のように答える。

「まったくそんなことはないです。女性だけの家族なので。本当にそんなことは自分たちにとってはなくて、女性のことも大切にしているっていうふうに思っています」

世間との価値観と違っていたのではないかという問いには。

「たぶん、悪気があったわけではないと思います。もちろん発言は不適切だったんですけれども。現代の日本の、なんていうんですかね、ジェンダーレスのことは確かにそこまですごく理解していたわけではないと思うんです。ただ、決して蔑視する意識がなかったことは家族はみんな分かっています」

また、森氏の娘(孫娘の母親)の見解は次の通り。

「まあ、もちろんあの、おっしゃる通り娘からの視点からいえば今のそういうジェンダーレスの話を100%理解するのは年齢的にも難しいかなって。あくまでも83歳の自分の父という視点でみれば、もちろんそうなんですが、たぶん今の立場とかからは、それは許されないことなんだっていうことは、重々、わかっております。なので私たちからはそれしか言えないんです。今はそういう世の中の流れにもなっていますし」

人間は年を取ると赤ちゃんに返るという。たしかに、動きは遅くなるし、素早い反応もできない。場合によってはおむつも必要になる。新しことを学ぶには時間がかかるし、時代についていくことにも限界がある。50歳を過ぎた私でさえ、老眼で本を読むことがつらいときがある。昔のように大量に長時間読書して、新しい情報を入手するなど神業である。まして80歳を過ぎた老人の状況など推して知るべしである。

森氏の話に戻ると、どう考えても森氏の発言は、彼の思想、信条の吐露でしかなかった。せいぜい、「あのおじいちゃん、またやらかした」で十分だった。森氏は賄賂を受け取ったわけでもないし、だれかに暴行を加えたわけでもない。少なくとも何かしら法令に違反したようなことはない。しかし、世間は83歳の老人に、世界の基準からかけ離れているとか、性差別だということで叩きのめしたわけである。

世界の基準とはなんであろうか。世界経済フォーラムが発表しているGlobal Gender Gap Reportであろうか。そうであれば西洋社会の視点で作られ、自分たちが進歩的である、先進的であることをアピールするための道具になっていることも覚えておく必要がある。西洋社会の価値観で世界を覆いつくそうということであろう。アラブやアフリカ、一部のアジア世界からみれば世界基準でも何でもない。

森氏は性差別をしたというが、それは日本社会の構造の問題であって、森氏ひとりの問題ではない。森氏が国会議員の女性の人数を抑制しているのか、彼が上場会社の女性役員を減らしているのか、彼が就労の機会を女性から奪っているのか。それは森氏ではなく社会である。

私の専門分野に雇用慣行賠償責任保険(employment practice liability insurance)があるので、その視点で差別をみてみる。この保険は、不当解雇や雇用差別、ハラスメントなどで会社や役員が従業員から訴訟提起された場合の弁護士費用や賠償金・和解金を保険金で補償するものである。雇用差別の中には性差別も含まれ、実は、日本における保険事故は非常に少ない。一方、アメリカやヨーロッパの一部の国ではよく訴訟は起きる。最近ではアジア諸国も性差別の訴訟は多いが、日本は依然として静かだ。どういうことかというと社会が現状に満足している、あるいは現状を受け入れているということである。

定年制もそうである。アメリカ、カナダ、オーストラリアでは定年制が違法であるが、日本では定年退職することが当然だと思っている。年齢差別だなどとだれもいわない。日本社会は年齢差別を受け入れてきたのである。

最近では「間接差別」という難しい概念も登場している。「仕組まれた向かい風」といっているが、アメリカで黒人を差別することは違法であるが、あるポストの採用条件に学歴と知能テストを義務付けた会社が、間接差別であると訴えられた。たしかに、人種的には中立であるが、教育上差別を受けてきた黒人に対して間接差別になっていると裁判所は判示している。

日本であれば身長、体重、学歴、学部要件、転勤要件などを設定することで、女性に対する間接差別はあり得るであろう。女性のほうが身長は低いし、体重も軽い、経済学部や経営学部、法学部に女性は少ない、女性が子どもを産んだ後に転勤を受け入れるのは難しい。これも差別である。しかし意外にも日本社会は受け入れているのである。

このように差別の問題は複雑で深い。森氏の発言をとらえてボコボコにしたところで、差別の問題解決にはならない。むしろ、自分の考えを表明しただけで、あれだけ叩かれたらたまったものではない。表現の自由どころか、多くの老人は残りの人生を黙って、言葉を発することなく、この世を去っていく必要があることになる。私は戦前生まれの人の価値観や女性観に興味があるので、どんどん語ってもらいたい。

私自身、仕事で接してきた人たちを思い返すと、女性のほうが優秀だと思う部分が多い。今度は逆差別といわれるかもしれないが、女性は仕事そのものに価値を見出す傾向があり、男性は役職やポストに価値を見出し固執する。一般化するのは危険であるが、そのような傾向がある。

もし、構成員が10名のプロジェクトチームを作って最大の成果を出せという使命を与えられたら、6対4で女性のほうを多くすると思う。女性のほうが仕事そのものを高度化させようとか、業務の本質を見極めようという意欲が強いようにみえるからである。一方で男性は、自分の実力は度外視して役職やポストにこだわる。だから10名のプロジェクトメンバーのうち女性を多数派にしておき、男性に気づきや危機感を与えるほうがプロジェクト全体の成果があがることになる。女性のほうが実力を重視しているわけであるが、そういう意味では、性別よりも実力のあるなしで評価する社会が到来することが望ましいであろう。性別は個性の一つでしかないのだから。

森氏には気の毒であるが時代の流れとしてあきらめてもらうしかないのだろう。しかし、ある一人の人の発言をとらえて、つるし上げ、しかもこの流れを政治的に利用して優位なポジションを得ようとする人がいる社会は本当に恐ろしい。また、思想の自由や表現の自由を奪われた世界を想像するだけで気持ちが悪くなる。もっと寛容で楽しい社会を創造したい。