スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

大企業の部長職は墓場への近道

私が1993年損害保険会社に入社したころ、部長や支店長という人は50歳から55歳が多く個室があり専用車もついていた。格が上の支店などは専属の運転手もいた。しかし、55歳を過ぎると役職定年ということで突然ポストがなくなり給与も下がったところで、このようないわゆるフリンジ・ベネフィットもなくなった。交際費や交通費もかなりの予算をもらい、飲むのが好きな部長などは急に寂しくなったことであろう。

ある意味で、この部長職の5年をどう過ごすかで、人によってその後の人生が大きく変わっていることが見て取れた。私の知っている大先輩は、部長になってからも実務の遂行能力を鍛えつつ、どうも55歳以降のことも常に想定していたようである。そして、55歳を過ぎたときに外資系企業へ転職し、その後、何度か転職し80歳まで25年間現役で働き続けている。

大企業の部長になると、ほとんど実務ができなくなる。できなくとなるというよりも、実務は部下にさせないといけない。自分は予算の執行管理や部内の人事、あるいは役員への説明などに駆り出される程度になる。そのようなことで一日が終われば、実務の力を鍛える暇はない。よって、ほとんどの人が役職定年になると戦力外となってしまう。そもそも、部長のときも戦力というよりは、部門間や部門と役員間の調整役あるいは潤滑油のような存在なわけで、何か尖った能力が必要なわけではない。

日本企業の場合、管理職になると本当に「管理人」になってしまうのはなぜだろう。私の場合、外資系の管理職の経験はあるが、管理人プラス実務家でなければいけないので、今考えると非常によかった。業界における最新の情報と技術を常に取り入れ、アップデートしなければならない。それに加えて予算の執行管理等もしなければならないので、戦力外になどなっている暇がない。自分も走り続けなければ部門が止まってしまうような感じで日々業務遂行する。対外的な折衝も自分でやるし、部下からの報告を聞くだけで終わりなどということもない。どんどん現場に足を運び生の情報に接する必要がある。

朝も早く起きて仕事がしたいから、接待でビジネスを取ろうなどいう発想もない。そもそも接待で獲得できたビジネスなど、接待をやめたらなくなるだけである。交際費はせいぜいランチ・ミーティングで消化したり、部門メンバーの意見交換の場を作るために業界の著名人を呼んでランチをしたり、ということに使った。

日本企業の伝統といってしまえばおしまいであるが、どうして管理職は実務をやらないのか不思議である。結局、管理職の役目が終わると急に活躍の場がなくなってしまうというのに。日本の管理職は、自分で自分の墓場に一直線に行くのを早めるための通過点のようなものである。

前出の55歳で転職して25年間現場で活躍している大先輩は、今でも現場で活躍している。顧客や同僚から頼られ続けている。生きがいという意味では、十分感じられるのではないだろうか。想像するに部長時代は月に100万円以上の交際費はあったのではないだろうか。もちろん、その下の課長へ配賦する分もあるので自分に残る分は限られていただろうが、それでも潤沢な額だったと思われる。海外出張もビジネス・クラスであっただろう。部下の人事や悩みの相談にも乗って、当人たちの未来のために尽力もしたであろう。

しかし、日本企業におけるそのような役回りはせいぜい5年間だったわけである。長いサラリーマン人生のたった5年である。その間、何もしなければ組織にとって荷物になると思ったのであろう。彼は実務能力を衰えさせることなく55歳の時に長年勤めた会社を去った。そして、その後も活躍し続け、今でも人の役に立っている。

日本の大企業の人事制度はある意味で残酷であった。ゆりかごから墓場までという比喩がピッタリの組織であったが、結局、墓場までが早すぎる。本来人間は80歳でも活躍できるにもかかわらず、55歳を過ぎたら墓場送りにするのが日本の人事制度であった。しかも、55歳を過ぎて役員になっても、また役員を退任したら元の木阿弥である。

コロナ禍で日本の人事制度も大きく変わらざるを得ないようであるが、これからは一人ひとりが組織人というよりも、独立した個人事業主となり、会社という法人と一対一の契約関係の中で生きていくことが求められているようである。

私が新入社員のときには、その会社に最後までいると確信していた。しかし、そんなうまい話はなかった。会社は従業員に相談することなく倒産するし、合併もする。おそらく、1993年に社会人になった私が2021年に社会人になる人への助言など何もできないと思われるが、逆説的に今の新入社員のほうがラッキーかもしれない。ゆりかごから墓場までの幻想などみるわけがないし、そんなことを期待もしていないであろう。必死で会社にしがみつく私の世代よりも、ある意味で、今の新入社員のほうがたくましく生きていくのではないだろうか。期待が裏切られるのは期待があるからであり、そもそもそのような期待がなければ期待は裏切られることはない。

私が贈りたい助言は、組織人を目指すよりも個人事業主の意識で組織に所属しておくことである。会社と従業員は対等な一対一の関係であり、面倒をみるとか面倒をみられるというような関係ではない。対等な一対一の関係が崩壊したときには、静かに次のステージに移るという関係性である。これからの企業社会の方向性はこのようになると思う。