スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

子どもの相対的貧困を解消するには

1990年代後半からNPOを通じて海外の子どもを支援してきた。最初の子どもはスリランカで、実際現地に訪問して本人にも会った。その後、2000年代前半に自分の所得も上がり、それではもう一人ということで二人の子どもを支援してきた。支援は一人の子どもに対して約5年程度続き、その地域での支援プロジェクトが終了すると、次の別の国の子どもの支援に移行する。ところが、クリスマスや誕生日のときにカードを贈る程度で、子どもたちとの親密感や、支援しているという感覚がどんどん薄れていき、なんとなく毎月お金が引き落とされるだけの状態が続いた。

そして、日本の子どもの貧困問題も相当深刻な状態になっていることが以前から気になっていたので、昨年思い切って海外の子どもの支援は一人に減らして、国内の子どもの支援を考えるようになった。

先日、高校生の長男の宿題のために購入した、渡辺由美子『子どもの貧困』(水曜社、2018年)を自分でも読んでみた。そして、渡辺氏が理事長をしているNPOを通じて、日本の子どもを支援しようと、子どもたちと話して決めた。

まず、貧困といっても絶対的貧困相対的貧困があり、発展途上国のように食べるものがなくて毎年餓死者が出るような絶対的貧困はわが国ではあまりみられない。わが国の貧困は、世帯所得が全国の平均の中央値に満たないことをいう相対的貧困である。よって、相対的貧困の家庭にいる子どもはみためでは貧困の中にいることをわからない。普通の服装をしているし、スマホも持っている。ほかの子どもと見分けがつかない。私の父親に戦争中の話を聞かされ、つぎはぎをしたズボンをはいて、毎日、日の丸弁当を持って学校にいっていた。お米がないときはカボチャをよく食べた、という話の世界ではない。

相対的貧困とはどのようなものか。渡辺氏によると、NPOが主催している無料の学習会にくる子どもたちの中には、昼食代が100円という予算の子どもがいるという。今どき、100円ではコンビニのおにぎりも買えないわけで、そのような子どもは100円の予算の中で駄菓子を買って済ませるという。また、フードバンク事業をしている団体から、おやつを提供してもらうことにしたら、テレビコマーシャルでみるお菓子をはじめて食べたという子どももいるそうである。当然、食費は主食であるお米やおかずに使うので、子どものおやつにまで回らない家庭がある。

この学習会に通う家庭の平均年収は150万円程度ということで、塾に通わせる余裕がない。このような家庭の子どもは学校の授業が終わったあとは、塾や習い事もないので予定が空白になる子どもたちがいるということである。そして、ひとり親のケースが多いので、複数の仕事を掛け持ちしていることが多く親も家にいないことになる。もちろん、親から勉強を教えてもらえる機会もない。

とにかく、ひとり親家庭の状況は非常に厳しい。非正規雇用でいくつも仕事を掛け持ちしても年間所得が150万円では、いずれは燃え尽きるであろう。そして、義務教育といっても、小学校入学時に、まず何万円もするランドセルを買い、その他の教材費もかかるし、宿泊学習や修学旅行の費用もかかる。中学生でも同じように費用がかかり、柔道着を購入、あるいは各種研修費がかかるであろう。

日本国憲法26条2項

「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」

結局、義務教育は無償といいながら有償なわけである。スマホを持てるのだからそれくらい払えるとか、外食できるのだから貧困ではない、という厳しい声も聞かれるが、そもそも義務教育が有償の国の未来は明るいのだろうか。

図表は、OECD加盟国の子どもの想定的貧困率を示している。加盟国の平均を上回る貧困率の日本は、比較的貧富の格差が大きいと思われていたイギリスよりも高い率を示している。「一億総中流」ということばの響きは、はるか昔のことになってしまった。

日本はなぜこのようなことになってしまったのだろうか。多くの実証研究が示すところは、就職氷河期の世代が40代という社会の中核を担う壮年期になっても、いまだに非正規雇用であること。そして、20代の女性が多くのケースで非正規雇用の職しか得られない状況が続いていることが原因となる。当然、子どもには所得がないので、その親の雇用が不安定で低い所得であれば、子どもの相対的貧困も増えることになる。今後日本は、所得の再配分によってこの問題を解決していかなければならないであろう。若い世代に競争を強いて努力しろというのはお門違いである。努力しても報われない世界を創造したのは、そのようなことをいっている当人たちなのだから。多くの子どもたちを過酷な状況に追い込んでいるのだから、若い世代が高齢者を助けるなどというのは未来に向かっては幻想でしかない。日本として所得再配分の強化は避けられないであろう。

この原稿を書き終えた瞬間に、2021年2月11日の産経新聞「世界最高齢の総務部員は90歳 エクセル駆使「私に定年はない」」を目にした。大阪のねじの専門商社に勤務する90歳の玉置泰子さん。「私に定年はない。働けるかぎりは、いつまでも頑張る」、「テレワークや時差出勤などで通勤する人が少なくなっていますが、私は私。いつも通りの気分でバスや電車などに乗っています」とさらりと話す。90歳まで生きられるかどうか別にして、未来の子どもたちのためにも、玉置さんから大いに学ばなければならないと感じた。

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