スペシャリストのすすめ

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社会を分断する日本の高等教育制度

最近、長男が大学受験をするということで、いろいろな角度から大学を調べる機会がありました。やはり驚くことは学費です。情報系学部を志望する長男の場合は、文理融合学部ということで、文系学部よりも学費が高く、理系学部よりも学費が低いという中間に位置しています。初年度納付金と二年目以降の学費をみて意外に高額だと思うものの、4年間の合計額を出したらさらに驚きました。550万円です。

もちろん、大学に支払う金額以外に、本人の生活費も別途かかります。しかも本人が大学在学中に正規の雇用に従事することはないので、大学4年間の逸失利益も考えると、大学に進学することは膨大な投資ということになります。もちろん、投資というからには、リターンが必要になりますが、たしかに生涯賃金で考えれば、大卒者と非大卒者で異なることでしょう。

労働政策研究・研修機構によって2020年に行われた調査によると、大卒者と非大卒者では、大卒者の生涯賃金が約6,000万円高いと考えられます。この点、親として経済的余力があるのであれば、子どもを大学に行かせてあげたいと思うでしょう。しかし、経済的な理由やその他何らかの要因で子どもの大学進学を断念せざるを得ない家庭というのはあるはずです。この私立大学進学のための総コストをみれば明らかです。

一方、国立大学であれば、文系も理系も、あるいは文理融合であろうと総コストは同じで、4年間で約240万円になります。まだ可能性は高まりますが、「国立」というわりには、240万円も家庭の支出というのは、何とも違和感があります。なぜ国は、未来への投資として、この240万円を無償にしないのでしょう。また、私立大学に対する公的支援をもっと充実させないのでしょう。私の知る限りフランスやドイツでは学費というものはなく、登録料の数万円を支払って終わりです。国が人材を育てるという意識があり、日本のように各家庭に支出を負担させるようにはなっていません。

アメリカの高等教育制度を模倣したからなのかわかりませんが、明らかに日本の高等教育に関する制度設計は、貧富の格差を拡大して、社会を分断していると思われます。世間では「学歴」によって貧富の格差が生じるというとき、超難関大学難関大学あるいは中堅大学、その他大学で差が生じるという文脈で「学歴」ということもありますが、ここでいう「学歴」は、大卒であるか非大卒であるかです。

結局、どこの大学出身者であろうと、少なくとも社会に出てしまえば、他人から見えるところに超難関大学の出身者であるなどというレッテルが貼られているわけではないので、仕事の成果次第で評価され、給与も変わってくるでしょう。しかし、日本の場合、大卒と高卒では選べる仕事が異なり、また、知識や技能あるいは人脈などで、その後の人生で差が出てくる可能性が明らかに高まります。

冷静に自分自身を考えても、1987年に大学進学しましたが、当時の4年制大学の進学率は約25%でした。短大も含めると約36%です。そして、自分が入社した会社のほとんどの人は、大卒か短大卒だったので、残りの64%の人々との社内での交流はなかったことになります。この時点で社会は分断されているといえそうです。

誰がこのような社会制度が望ましいと考えて制度設計したのかわかりません。日本という国が冷静に社会全体のことを考えていれば、教育にもっと投資をして、優秀な人材を育て、そしてその人材が稼いで税金を支払ってもらうとい循環をつくらなければ未来はないとわかりそうなものです。しかし、現実はそうなっていません。

せめて、社会人になってから大学に進学したい、自分の稼いだお金で学び直したいという意欲がある人には、学費は無償でもいいのではないかと思いました。親に行けといわれて仕方なく大学に行くわけではないので。私には日本の高等教育のあり方を語れるほど専門性も知識も経験もありませんが、自分の子どものために支払わなければならないかもしれない金額を目にして、社会を分断する日本の高等教育制度に対して、大きな疑問を抱きました。