東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視発言で批判を受けている。おそらく本人に悪気はなかったのだと思う。自分の思いを吐露しただけで猛烈な非難を受ける結果になった。そもそも森氏の年代であれば、あのような発言が本音の人が多いのかもしれない。受けてきた教育、生きてきたい時代背景が今と違うので仕方がない。そもそも、表現の自由の観点からは何も問題のない発言である。
戦前生まれの同じ年代の男性は、おそらく「このようなことをいうと非難されるのかぁ!」と驚き、襟を正した方が多いかもしれない。また、同じ世代の女性は、「現代社会では受け入れられない発言なんだ! なんと時代は変わったのかしら」くらいに思っているのかもしれない。そんなことはないという戦前生まれの方がいたとしたら、西洋社会に留学経験があるようなかなり進歩的な人であろう。ただし少数派ではないか。
かなり以前の話になるが、森氏と同じ世代の教育者の方が、アメリカのロサンゼルスで起きた黒人の暴動のニュースを視て、「黒人は程度が低いのだろうな」という発言をしているのを聞いたことがある。あの年代で大学も出て、教養もあるはずで、教育界でそれなりの地位についていた人の発言であったが、本人にしてみれば違和感のないコメントだったのだろう。
また、今回の森氏の発言に対して海外のメディアも一斉に批判の声をあげているが、過去の日本社会を知らない彼ら彼女らに的を射たコメントはできないと思う。私がインドのある地域に女児殺しの習慣があること、インドネシアで同性愛が有罪でむち打ち刑になること、ムスリムの女性がベールを身に着けおしゃれの自由がないことなどに、何の非難の声もあげられないのと同じではないだろうか。もちろん、もっと寛容な社会で自由を謳歌できたらよいのにとは思う。自分の娘には日本に生まれてよかったね。日本が息苦しければヨーロッパに住んでもいいよ、くらいはいうと思うが、ただそれだけである。
結局、森氏にしても、くだんの教育者にしても、自分の知らない世界、みえていない世界、経験していない世界の基準で発言はできないわけなので、わたしは「仕方がない」で片づけるしかないと思う。とりあえず、それしか方法はない。若い女性アナウンサーの中にも、「呆れる」とか「うんざりする」という声も聞かれるが、中立的な立場にいる私から申し上げられることは、「あなたとは「違う」教育を受け、世界を生きてきた人ですよ。それ以上でもそれ以下でもないと思います」というだけかもしれない。
まず、私たちは声高に批判をする前に、そのような人をわが国の総理大臣にした人は誰なのか、その後も政治経済に影響力を維持できたのは誰のおかげなのかを考え、次の選挙にはかならず行くこと、小さなことから寛容で進歩的な社会を作ることに注力することではないだろうか。少なくとも誰にでも表現の自由はあり、自分の好き嫌いをいう権利があり、その権利を必死で守る必要があることを忘れるべきではないと思う。