一連のパンデミックに対する政府の対応について、憲法問題を私人相互間の問題にすり替えた事例が多かったように思う。あるいは、政府がうまく憲法問題を回避しながら、人権保障に真剣に取り組まなかったのではないかと疑いたくなることが多かったのではないか。外出や営業の自粛、マスク着用のお願い、ワクチンの職域接種、どれも政府は直接自分の手は動かさずに、ほぼ強制的な効果をもたらした。上からの指示には従順で、社会の調和を重んじ、ルールを丁寧に守る国民性はうまく利用された。
まず、新型インフルエンザ特別措置法(以下「特措法」)において、対策の実施主体の中心となるのが地方公共団体で国ではない。その点、国が責任を取らず地方公共団体に責任と判断を押し付けているようにみえる。しかし、これはこれで権力の分散という意味や、非常事態における適切な対処は現場に近いところで判断する方がよい結果が出やすいという視点では悪いことではない。
この特措法に基づき国は緊急事態宣言を出すことができる(32条1項)。期間は2年を超えないものとし(32条2項)、1年に限り延長することができる(32条3項、4項)。緊急事態宣言が出されると、都道府県知事は住民に対して一定期間みだりに外出しないことを要請したり(45条1項)、学校、社会福祉施設、興行場、多数の者が利用する施設の管理者等に、施設の使用制限や停止等を要請できることになる(45条2項)。もし、正当な理由がないにもかかわらず要請に従わないときは、要請に基づく措置を行うように指示することができる(45条3項)となっていた。今は2021年2月の改正特措法思考によって「指示」が「命令」に改正されている。
憲法上の権利との関係では、憲法22条の移動の自由や営業の自由、21条の集会の自由等を制限する側面があるものの、これらの規制はいずれも「要請」および「指示」となっていたので強制力はなく憲法問題は生じないという解釈もあったであろう。しかし、受け止める人によっては強制と捉える人も多かったと思われるので、まったく憲法に抵触しないと言い切れたかは疑問である。そのように考えると、日本政府は憲法問題を回避しつつ、間接的に人々の私権を制約したのではないだろうか。
マスク着用についても、政府として義務化などしていない点、ヨーロッパ諸国やアメリカ、カナダ、オーストラリア等に比べて憲法問題を引き起こさないであろう。しかしこの問題に関しても、公共交通機関や施設、職場などでほぼ義務化に近い運用がなされ、それに対してマスクの効用に対する科学的検証や審査はなされていない。そして、国は沈黙を守り、各企業や個人の判断に任せた状態であった。大林啓吾編『感染症と憲法』(青林書院、2021年)によると、政府がマスク非着用者に対する同調圧力を煽ったり、意図的に抵抗者としてのレッテルを貼ろうとする場合、それはマスクを着用しない自由を間接的に制約している可能性があるという。よって、同調圧力が生じないように任意であることをメッセージとして積極的に発信すべきであった。それをしていない政府は、ここでも間接的に人々の自由を制約したといえる。
ワクチンの職域接種も、予防接種法において努力義務規定になっているにもかかわらず、大学や企業において職域接種を進め、任意であることを強調することを怠ったといえる。多くの人は強制接種でもあるかのように捉えて、接種を思いとどまるものに対しては同調圧力を使ったといえる。社会全般に同調圧力があったことぐらい、日本政府は知っていたはずである。明確なメッセージも欠き、むしろワクチン接種を強く促したといえる。これも私人間における人権侵害を黙認していたものと思われる。本当にこのような私人間の人権侵害は、憲法と無関係なのであろうか。このような状況において憲法は無力なのであろうか。私は憲法の出番はあると思う。