スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

ワクチン懐疑派の論文は意外に多い(4)

Neil Z. Miller, Miller's Review, Miller’s Review of Critical Vaccine Studies (2016) を読んでいると、現在一部で騒がれている新型コロナ・ワクチンへの懐疑的な議論が、実は昔から存在している他のワクチンについても当てはまることに気づきます。新型コロナ・ワクチンの議論に注力していると、陰謀論で片づけられがちですが、実は延々と過去から問題提起されてきているのに、ほぼ無視されてきたか、議論が活性化しないように封じ込められてしまっていたのかもしれません。

まず、産業界が学問を支配していることを証明する論文をみてみましょう。

Tereskerz PM, Hamric AB, et al., Prevalence of industry support and its relationship to research integrity, Account Res 16(2) 78-105 (2009)

産業界のスポンサーシップが科学研究にどのような影響を与えるかを知るため、米国のトップ研究機関33校の医学部教員528名を対象に匿名調査を実施しました。本調査では、医学研究者の3分の2(67%)が何らかの産業界の支援を受けており、32%が給与の一部が産業界から支払われていることを認めました。教授は准教授に比べ、研究助成金コンサルティング契約、ロイヤリティ支払い、共同事業ベンチャー、実験設備、その他様々な金銭的取り決めなど、産業界の支援を受ける傾向が顕著です。そして、研究のために産業界の支援を受けた回答者のうち、61%は、論文原稿の出版前審査を産業界のスポンサーに認めていました。また、多くの人が、スポンサーの製品に有利な方法で結果を発表すること、結果の公表を遅らせるとか、完全に差し控えることに同意しているということです。さらに、研究データの解釈、研究成果の発表、研究分野の科学的進歩のすべてが、産業界の支援によって損なわれたとする回答も高い割合を占めています。  

次に、今は忘れられたインフルエンザ・ワクチンに関する論文をみてみましょう。

Geier DA, King PG, et al., Influenza vaccine: review of effectiveness of the U.S. immunization program, and policy considerations, Journal of America Physicians and Surgeons 11(3) 69-74 (2006)

この研究では、18年間のデータを分析し、アメリカ人にとってインフルエンザ・ワクチンは、インフルエンザを予防する効果も、入院や死亡を避ける効果もないと結論付けています。インフルエンザ・生ワクチンを接種した人は、副作用のリスクがあり、また、妊婦や免疫力の低い人など、接触した人に感染させる可能性があります。よって、インフルエンザ・生ワクチンの接種者は、3週間程度、免疫不全者との密接な接触を避けるように警告されています。

Abramson ZH, What, in fact, is the evidence that vaccinating healthcare workers against seasonal influenza protects their patients? A critical review, Int J Family Med 2012, 205464 (2012)

この論文では,患者を守るために医療従事者にワクチン接種を義務付ける政策を支持するエビデンスを評価するために,関連するすべてのインフルエンザ研究を調査しています。まず、すべての医療従事者にインフルエンザ・ワクチンを義務付けることを正当化するために保健当局が引用する研究は、極めて欠陥が多く、そのような勧告は偏ったものであるということです。そもそも、患者が地域診療所の医療従事者と短時間出会っただけで、インフルエンザに感染するリスクが大幅に増加するという証拠はありません。また、医療従事者にインフルエンザ・ワクチンを接種することが、患者にとって明らかに有益であるという信頼できる証拠はなく、このような政策は不健全であり、科学的文献によって裏付けられていません。医療従事者は、法的、組織的、あるいは同僚からの強制を受けることなく、インフルエンザ・ワクチン接種を受け入れるか否かを自由に決めることができるべきなのです。

このように、インフルエンザ・ワクチンに関する論文においても、今の新型コロナ・ワクチンの議論と同じことが争点になっていたりします。以前から丁寧に議論を積み上げていれば、今回のような混乱は起きなかったのかもしれませんが、残念ながら新型コロナ前は、世界的な議論を巻き起こすには問題の規模が小さすぎたのでしょう。そういう意味で、今回この機会を逃さず徹底的にあらゆるワクチンというものについて分析評価する時期なのだと思います。ここでご紹介しきれない膨大な数の論文が存在しているわけなので、検討の素材としては十分ではないかと思います。あとは、その中に分け入って調べるか調べないかだけの問題なのでしょう。

ワクチン懐疑派の論文は意外に多い(3)

Neil Z. Miller, Miller's Review, Miller’s Review of Critical Vaccine Studies (2016)に掲載されている論文要約の紹介を継続いたします。

私たちは権威のある研究者の論文は正しいと信じ込むことがあります。あの人がこう書いているのだから間違いないだろうと。しかし、どんなに著名な研究者の見解であっても、やはり自分自身で検証しない限り、誤りを犯すと思います。特に医学や薬学の世界では、莫大な資金が動くようですので、一人の権威を妄信することは危険なようです。次の論文は、研究不正に関する調査で、他の人文・社会科学分野より、はるかに不正が発生しやすい環境が存在していることがわかります。

Fanelli D, How many scientists fabricate and falsify research? A systematic review and meta-analysis of survey data, PloS One 4(5) e5738 (2009)

この論文は、科学者がデータの捏造や改ざんなど、科学的知識を歪める研究不正を行ったことがあるか、または同僚が行ったことを知っているかを尋ねた21の調査結果を分析したものです。科学者の最大5%が、結果を改善するために少なくとも一度はデータの改ざん、捏造、変更を行ったと認めています。そして、最大34%が、その他の疑わしい研究行為に関与していたことを認めました。疑わしい研究の例としては、資金提供元からの圧力により、データを削除したり、研究計画、方法論、結果を変更したりすることが挙げられます。臨床・薬学・医学研究では、実質的バイアスを助長する大きな金銭的利害関係のため、他の分野よりも科学的不正行為が拡大する可能性があります。ある調査では、生物医学分野の研究研修生の81%が、助成金を獲得したり論文を発表したりするために、データを選択、省略、捏造することをいとわないとも回答しています。

これでは、デタラメではないかということですが、研究不正は今も後を絶たないし、実際に日本でも起こっています。当該分野の専門家ではない人にしてみれば、まさかそんなことが、と思うかもしれませんが、専門家が常に社会に対して誠実であるとは限らないということです。不正をした本人にとっては抜き差しならない状況に陥ることもあるのでしょう。

次に、ワクチンの効果を助けるために使われるアルミニウムについての論文をみてみましょう。ちなみに、ワクチンの効果をより発揮させるものをアジュバント(adjuvant)といい、ラテン語が起源で「助ける」という意味を持ちます。

Tomljenovic L, Shaw CA, Mechanisms of aluminum adjuvant toxicity and autoimmunity in pediatric populations, Lupus 21(2) 223-230 (2012)

この論文は、ワクチンによるアルミニウム・アジュバントの毒性が、発育途上の子どもの神経系と免疫系に及ぼす影響について分析したものです。アルミニウムは神経毒ですが、就学前の子どもたちは、脳の発達の重要な時期に、複数のワクチンから多量のアルミニウム・アジュバントを繰り返し注射されます。このため、神経発達障害や自己免疫疾患を引き起こす可能性があります。生後の発達期には、子どもの脳は毒素に対して透過性が高く、腎臓は毒素を排除する能力が低くなっています。したがって、子どもはワクチンのアルミニウム・アジュバントによる副作用のリスクが大人より高いのです。

Gheradi RK, Authier F, Macrophagic myofasciitis: characterization and pathophysiology, Lups 21(2) 184-189 (2012)

この論文は、アルミニウムを含むワクチンを接種した後に一部の人に発生する身体障害性の健康状態であるマクロファージ性筋膜炎(MMF)に関するエビデンスをまとめたものです。ワクチン中のアルミニウムは、注射部位に集まるか血液中を循環し、他の細胞やリンパ節に移動し、最終的には脾臓や脳などの遠隔臓器に蓄積される可能性があります。MMFの症状には、慢性疲労、慢性的なびまん性筋痛(筋力低下)、関節痛、記憶や注意に影響を及ぼす認知機能障害、睡眠障害、障害をもたらす頭痛が含まれます。

アルミニウムが添加されたワクチンを私自身も私の子どもたちも接種しております。特に長男が慢性疲労症候群に悩まされた時期があったことを考えると、アルミニウム添加のワクチンと症状の因果関係を完全否定することはできないと思いました。

ここまで3回シリーズで論文をご紹介しましたが、どの論文もネットで入手できることに驚きました。なぜなら、法学分野であれば、いまだに紙媒体でしか入手できない論文もあり、国立国会図書館まで行って複写をしてもらう必要があるからです。その点、医学や薬学分野は意外とオープンであるということ。資金提供問題などで不正が起こりやすいのかもしれませんが、一方でそれを検証しやすいということもあるようです。よってこの分野に専門性のある方には、幅広く論文を検証していただき、発信していただくことが社会の発展や人々の健康に貢献することと思いました。

別の機会に、インフルエンザやHPVなど他のテーマの論文もご紹介できればと思います。

ワクチン懐疑派の論文は意外に多い(2)

私の故郷の札幌で、大手の病院が相次いでワクチン接種の中止を決定いたしました。札幌手稲渓仁会病院、札幌徳洲会病院、札幌禎心会病院などです。手稲渓仁会病院は、実家からも近く、地域では有名な病院なので、近隣に住んでいる人にはそれなりの影響があると思います。

そして、禎心会病院では、世界各国の接種後の効果や副反応の状況、また、基礎的な研究が出始めワクチンのマイナス面が議論されている状況を踏まえて、接種の中止を決定したといいます。中止の経緯の説明書には、ワクチンそのものに欠陥があり、効果がなく、自己免疫疾患の増加の懸念も指摘されています。病院側で冷静に分析した結果だと思いますので、無視できない指摘です。

さて、本題の Neil Z. Miller, Miller's Review, Miller’s Review of Critical Vaccine Studies (2016)に掲載されている論文要約ですが、まず、医学雑誌と製薬業界の利益相反に関する論文をみてみます。

Smith R, Medical journals are an extension of the marketing arm of pharmaceutical companies, PLos Med 2(5): e138 (2005).

この論文は、医学雑誌と製薬業界が金銭的に利益相反的な関係にあり、科学の誠実さを損なう恐れがあることを示唆する証拠を検討したものです。まず、製薬会社が広告を医学雑誌に提供することで、医学雑誌は多額の収入を得ています。さらに、製薬会社は自分たちの論文が掲載された場合、数千ドル分の抜刷を購入することがよくあります。このことは、雑誌の編集者や出版社にとって強い利益相反を生む行為です。また、主要雑誌に掲載された臨床試験結果の約70%は製薬会社から資金提供を受けています。製薬業界から資金提供を受けている研究は、他の資金源から資金提供を受けている研究に比べて、4倍業界にとって有利な研究結果を見出すことができます。

想定はできることですが、学術雑誌といえども、莫大な資金力にものを言わせることで、中立性や公平性、客観性というものを破壊することが可能ということでしょう。

次にワクチンの防腐剤の役割を果たすチメロサール有機水銀化合物)が含まれるワクチンに関する論文です。

Geier DA, Hooker BS, et al., A two-phase study evaluating the relationship between thimerosal-containing vaccine administration and the risk for an autism spectrum disorder diagnosis in the United States, Transl Neurodegener 2(1) 25 (2013).

本研究は、小児用ワクチンに含まれる水銀の毒性効果を評価するために計画されました。第1段階では、三種混合ワクチン接種後の自閉症スペクトラム障害の報告について、ワクチンイベント報告システム(VAERS)データベースを解析しています。その結果、水銀を含むワクチンを接種した乳幼児は、自閉症スペクトラム障害と診断される確率が有意に2倍高くなりました。第2段階では、ワクチン安全性データリンク(VSD)データベースを解析し、自閉症スペクトラム障害の診断を受けた子どもと受けていない子どもを識別し、B型肝炎ワクチンによる乳児の水銀曝露量を比較しました。 生後6ヶ月以内にチメロサールを含むB型肝炎ワクチンから37.5mcgの水銀を摂取した乳児は、水銀を含まないB型肝炎ワクチンを摂取した乳児と比較して、その後自閉症スペクトラム障害と診断される確率が3倍高いことがわかりました。

私も子どもの頃、チメロサールを含むワクチンを接種していると思いますが、自閉症にはなりませんでした。運が良かっただけでしょうか。それにしても研究結果でチメロサール自閉症の相関が統計的に有意であることがわかっているのであれば、製薬業界として手を打つべきなように思いますが、チメロサールの利便性が手放せないのでしょう。

Gallagher C, Goodman M, Hepatitis B triple series vaccine and development mental disability in US children aged 1-9 years, Toxicol Environ Chem 90(5) 997-1008 (2008)

本研究では、1~9歳児の発達障害と、新たに推奨された水銀を含むB型肝炎ワクチン3回接種の幼児との関連性を調査しています。 1991年、CDCは米国のすべての乳児に、水銀を使用した新しいB型肝炎ワクチンを3回接種することを推奨し、1回目は出生時から接種するようにしました。その結果、1991年から1999年にかけて、自閉症で特別な教育サービスを必要とする子供の数が500%増加したということです。また、水銀入りのB型肝炎ワクチンを接種した少年は、未接種の少年に比べて9倍も発達障害になる可能性が高いことがわかっています。

このようにみていくと、健康のためにと思って接種しているワクチンは、人によっては明らかに大切なものと引き換えになっているようです。たまたま症状が出なかったのでラッキーという次元の話ではなく、科学的データに基づくと、明らかに問題があるということなのですが。

このような論文を読んでも楽しいものではないでしょう。業界や学会の闇のような部分もありそうです。しかし、この分野で活躍されている方には、ぜひ多くの論文を確認していただき、気がついたことを情報発信していただくことを希望したいと思いました。私の場合、1本の論文を書くのに100本の論文は調べると思います。多いときで、そのうち半分はあまり参考にならなかったということもあります。ただ、数をこなすと、新しい視界が開けるし、次の論文のテーマで使えるというケースも出てきます。よって、まずは広くいろいろな論文に当たってみるというのも大切なのではないかと思います。そして、先行研究をいくつも調べていくと、現在のコロナワクチンについての混乱も、そこはかとなく納得できる部分が出てきます。ワクチンの問題は今にはじまったことではないようです。過去の歴史的な背景が間違いなくあり、今回、コロナで大きく顕在化したようです。

また、別の機会に他のテーマの論文は紹介したいと思います。

ワクチン懐疑派の論文は意外に多い(1)

ワクチン懐疑派の論文を400本以上要約した書籍、Neil Z. Miller, Miller's Review, Miller’s Review of Critical Vaccine Studies (2016)を読み終えたので整理しておこうと思います。自分の専門でもないし、内容も楽しいわけでもないので、読了までに約1年かかりました。想像していたことではありますが、やはり懐疑派の論文は世間の表舞台には出にくい環境が歴史的に続いていることがわかります。

Martin B. On the suppression of vaccination dissent, Sci Eng Ethics 21(1) 143-157  (2015)

本論文によると、ワクチン懐疑派の研究論文を公表することは、研究者にとって大変なリスクを伴うことがわかります。ワクチンに批判的な人は、不当に弾圧され、脅迫や検閲にさらされ、生活の糧を失うかもしれないからです。また、ワクチン推進者の中には、当然、ワクチンに批判的な人は信用できないと考える人もいます。そして、ワクチン懐疑派の研究者は、反ワクチンまたは反科学というレッテルを貼られることになります。ワクチン推進者は、不正な方法で反対意見を抑圧しています。その方法とは、専門家の評判を脅かすような噂の流布、嫌がらせ、研究資金や研究資料へのアクセスの拒否などです。

このように、ワクチンに関する否定的な論文を書くことは、その分野の研究者として生きていけない状況に追い込まれるようです。製薬会社などが莫大な資金提供を研究機関に対してしていることを考えると、このようなことは想定できることではありますが、別の観点から考えると、ワクチンに懐疑的な論文を公表することは本人の業績にとってマイナスになることはあってもプラスにならないわけです。それでも公表するということは、自分の研究結果について真実を伝えたいという強い思いがあるからなのかもしれません。

次に具体的なワクチンに関する論文をみていきましょう。

Miller NZ, Goldman GS, Infant mortality rates regressed against number of vaccine doses routinely given: is there a biochemical or synergistic toxicity? Hum Exp Toxicol 30(9) 1420-1428 (2011)

本論文によると、最も多くのワクチンを要求される先進国は、乳幼児死亡率が最も高い傾向にあります。これは発展途上国のことではありませんので、衛生環境が悪いとかの言い訳は通用しないことでしょう。そして、この研究では、先進34カ国のワクチン接種状況を分析し、乳幼児死亡率とワクチン接種の回数に有意な相関があることを明らかにしました。最も多くのワクチンを必要とする国は、乳幼児死亡率が最も悪い傾向にあるということ。そして、ワクチン接種の回数が26回と最も多く要求されているのがアメリカということでした。

このサマリーを読んだとき、日本がなかなかワクチン接種を止められないのは、アメリカの圧力があるからかもしれないと思いました。日本政府の曖昧な対応に不満を感じる人もいるかもしれませんが、彼らも望まない対応をさせられている可能性はあるのかもしれないと。

Glanz JM, Newcomer SR, et al, A population-based cohort study of undervaccination in 8 managed care organization across the United States, JAMA Pediatr Mar 1, 167(3) 274-281 (2013)

この研究では、323,247件の医療記録を分析し、CDCが推奨する年齢ですべてのワクチン接種を受けた2歳未満の子供とワクチン接種が不十分な子供とを比較しました。その結果、上気道炎、発熱、咽頭炎に対する外来受診率および医療利用率に関して、ワクチン接種が不十分な子どもたちのほうが、すべて接種を受けた子どもたちと比較して、36%から38%低い結果になりました。本研究によると、すべてのワクチンを接種した子どもは、ワクチン接種を受けていない子どもよりも、救急医療を必要とする可能性が有意に高いという結論になっています。

今回、400本以上ある論文の一部をご紹介しましたが、私がこの分野の専門家でもないので、これ以上深い検証は無理であること、幸いにも各論文をネットで入手できるということを考えると、ぜひ当該分野に知見や経験のある方には、先入観を排して検証していただければと思いました。大切なことは、過去の論文を渉猟することで、現在進行形のコロナワクチンについても新しい視界が開けるのではないかということです。先行研究を遡って調べることの大切さは、現在、そして未来を予測するのにとても大切であるということは、どの分野においても言い得ることでしょう。

今回ご紹介できなかった、それ以外の論文はまた別の機会にご紹介いたします。

他国にも緊急事態条項があるからは根拠にならない

 

自民党日本国憲法改正草案が出された2012年に、憲法学者政治学者が呼びかけ人となって、立憲デモクラシーの会という団体が立ち上がりました。どうもそのメンバーが中心になって出版されたと思われる、奥平康弘ほか編『改憲の何が問題か』(岩波書店、2013年)のいくつかのテーマを読み直してみました。まず、当時はそれほど自分の中で問題意識が高くなかったので、素通りした部分が非常に多かったことに気がつきました。

そして、あらためて何人かの論稿を読んでみますと、かなり左派の学者が多いのか、論理的な記述に留まればいいものを、自民党の改正案の稚拙さを強調しすぎている箇所が目立ちました。この点、少々辟易する部分があることも認めなければならないと思います。やはり冷静さは維持しつつ、できるだけ論理的な議論に限定したほうがよいと思いました。

一方、いくつかの論稿の中で、水島朝穂教授が書いた「緊急事態条項」の論点は参考になりました。

まず、どこの国の憲法にも緊急事態条項があるのに、日本国憲法にはそれがないのはおかしい、という議論の仕方に問題を見出します。たとえば、ドイツの緊急事態条項にある対象となる事態は、ナチスの苦い経験を教訓に、限定化の努力が随所にみられ、緊急事態立法の制定者が本来意図したことの95%は実現しなかったそうです。また、フランスでも、1961年のアルジェリア反乱時に、長期にわたり非常権限が行使され続け、濫用されたことを反省し、ミッテラン大統領時代に国家緊急権を大幅に制限しようと試みられたといいます。

結局、緊急事態条項を限定したり、制限したりしようと試みる国すらあるのに、どこの国にもあるから日本でも、という議論はいかにも安易であるということです。たしかに、それぞれ国の成り立ちが異なり、歴史や文化、慣習、そして、地政学的なポジションも異なるのに、他国に追随すればよいというものではありません。自分の専門の保険法の世界でも、やはりイギリスやアメリカは圧倒的に最先端であることを認めなければなりませんが、そのまま日本にも採用するなどという単純な結論は出せないことが多いと思います。

また、改正草案で目立つこととして、法律への委任が多いことが指摘されます。緊急事態条項のわずか2か条で「法律の定めるところにより」という文言が8か所に出てきます。同じ文言が、日本国憲法の103か条中、30か所程度であるのと比べても異常に多いわけです。これは緊急事態条項の要件や効果にかかわる大切な事項を決定せずに、曖昧なまま条項を採用してしまうことになり問題だということです。自分自身も組織の規定等を作成することがありますが、自分自身の首を絞めないように、「別途定める○○に従い」という書きぶりは非常に便利であることがわかります。そういう意味では、改正草案も同じように逃げ道を確保しているのかもしれません。

水島教授が強調するのは、改正草案の緊急事態条項が実現するようなことがあれば、内閣総理大臣が何でもできるようになることを授権するための条項として機能する可能性が高いということです。憲法は権力を制限する規範であるという近代立憲主義の大前提を無視したまま、日本国憲法を国民が尊重しなければならない規範、権力の発動要件を定めたルールへと変質させることになると。

たしかに、憲法改正議論のスタート地点として忘れてはいけないことがあります。それは、憲法は国民に義務を課すためのものではなく、国家権力を制限するためのものということです。ここが議論のスタート地点であり、ここがブレてはいけないということだということでしょう。その点、たしかに自民党憲法改正草案を作成した人の考えから抜け落ちていることは事実なのかもしれません。

いずれにしても、緊急事態条項が他国にもあるので日本にも、という単純な議論には距離を置くことが大切だと思いました。

憲法改正はイデオロギーを捨てて考える

選挙が終わり、自民党による憲法改正案や緊急事態条項の創設といったことが議論の遡上に載ってきました。今まで真剣に考えたことがない人も、ここで少しは憲法について考えておいた方がよいのかもしれません。そのとき、保守や革新、右派や左派といったイデオロギーをいったん捨てて検討する必要があるように思います。

私は法学が専攻であるものの憲法学に明るくありません。ただ、少し歴史的な背景を調べてみたした。一般的に、改憲派からはアメリカによる占領期間中に、GHQによって1週間で作られ、アメリカに押し付けられた憲法など改正すべきあるということが指摘されます。護憲派からは、戦後わが国が戦争をしなかったのは、平和憲法があったからであり、この憲法を守るべきであるといわれます。改憲派は保守、護憲派は革新あるいはリベラルというような図式が成り立つかもしれませんが、ここは主義主張をいったん保留にすることがよいと思います。

保守の人は改憲派が多いことでしょう。たとえば、渡部昇一『[増補]決定版・日本史』(扶桑社新書、2020年)においては、憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるが、国民の安全や生存を外国に任せるような国はないと批判します。同じく保守派の西部邁『私の憲法論』(徳間書店、1991年)においても、「押し頂き」憲法ということで、自国の憲法を他国に作成してもらってそれっきりというのは、文明国では日本だけだとし、自らの改憲案を提示しています。

ここで、本当に日本国憲法は、アメリカから押し付けられた、稚拙な内容の憲法なのかを考えてみます。小西豊治『憲法「押しつけ」論の幻』(講談社新書、2006年)を読むと、どうも日本国憲法の土台となる条文を考えたのは、憲法学者鈴木安蔵氏であったようです。彼は民間の憲法研究団体のメンバーで、フランス憲法やプロシャ憲法をよく研究しており、戦後は静岡大学の教授も務めています。また、鈴木氏は自由民権運動家の植木枝盛氏が作成した東洋大日本国国憲按も参考にして憲法草案要綱を作成しています。そして、この憲法草案要綱は、GHQ草案のモデルとなっているとされます。

たしかに、日本国憲法自由権規定は、鈴木安蔵、そして植木枝盛の考えが表出した条文になっており、おそらく、マッカーサーも日本人が作成したそれらの草案を取り入れた可能性は十分あることでしょう。たとえば、公務員による拷問禁止規定が日本国憲法36条にありますが、アメリカ合衆国憲法にはないそうです。そのように考えると、鈴木氏や植木氏の精神が脈々と流れた条文があり、日本人の貢献がなく日本国憲法が作成されたということはあり得ないでしょう。ましてや1週間で完成させたなどほぼ不可能だと思います。

それでも保守派の人には受け入れがたいことがあるとするなら、鈴木安蔵氏がマルクス主義の視点で研究活動を展開していたということがあるかもしれません。私の場合、自分は右派でも左派でもないと思っていますが、若干右寄りの中道右派ということかもしれません。外国のことや語学はよく学びますが、それでも日本の伝統と文化を守るべきというのは強く思うほうです。

しかし、日本国憲法は維持しても問題ないという立場です。条文を読めば「心地よい」と感じるくらい、自己決定権が確保されており、自由というものに対する執着すら感じられます。私は、この心地よさを信じたいと思います。だから、イデオロギーをいったん排して、もう一度、日本国憲法を読んでみる必要があると思います。

そして、その心地よさが実証されたのがパンデミックです。日本は他の先進諸国に比べると、緩やかな自粛という方法が取られました。厳しいロックダウンができなかったことは、日本国憲法のおかげだったのではないでしょうか。自由に対する安心感があります。

一方で自民党改憲に動いているという事実も考える必要があります。自民党改憲したいということは、今のアメリカが改憲したいということかもしれません。正確にはアメリカの背後にいる人々かもしれませんが。終戦直後のアメリカは、日本国憲法が都合がよいということで施行させましたが、70年以上の歳月が流れて、アメリカにとって不都合になってきたということはないでしょうか。

しかもその間、日本人は日本国憲法を自分のものとしてしまったともいえます。第9条など、世界のどこを探してもない条文です。一方、解釈で自国の防衛のために自衛隊という優秀な部隊を持っています。日本の外に向かって戦うことはないという、世界で一つ、オンリーワンであるのであれば、それを異常だといわずに、活用すべきです。穏和で平和な国だからこそ、他国の人の日本に対する評価は比較的良いと思います。

カナダをみてください。アメリカが侵略してくるという被害妄想を抱いている人はほとんどいないことでしょう。ベルギーをみてください。オランダが攻めてくるとは思っていないでしょう。戦争をさせたい人たちはいますが、戦争をしたい人たちはいないのです。その戦争をさせたい人たちを喜ばせる憲法改正が本当に必要かイデオロギーをいったん横に置いて考えてみるとよいと思います。

要人暗殺にみられる一定のパターン

元首相が暗殺されるという事件が起きました。日本だけはそのような物騒なことは起こらないと思っていた人も多いと思います。この治安の良い日本で起きた暗殺事件だけに、衝撃も大きかったのかもしれません。偶然にも過去の暗殺の事例について分析した資料を目にする機会があったので整理しておきます。

まず、1963年アメリカ大統領ジョン・F・ケネディの暗殺事件については、すでに多くの著作が出ています。ケネディ大統領は、テキサス州ダラスで自動車パレード中にライフルで射殺されました。銃撃の直後から陰謀の疑惑が浮上しています。一般的にはオズワルドという男の単独犯であるとされていますが、おとりにすぎなかったということです。弾道学と物的証拠から、ケネディは正面から発射された銃弾に当たっており、オズワルドの後方からのものではありません。当時、正面にいたのは誰だったのでしょうか。

次に、JFKの弟ロバート・F・ケネディが1968年にカリフォルニア州ロサンゼルスのホテルで暗殺されています。射殺された当時、大統領選に出馬していて民主党の指名を受ける予定でした。ロバート・F・ケネディが演説した後、大勢の支持者や記者に囲まれながら、食料貯蔵室エリアを通て戻っていこうとしたとき、サーハンという男に撃たれて頭部と胴体を負傷して床に倒れました。この事件もサーハンの単独犯行とされましたが、弾道学と目撃証拠から、3センチから8センチの至近距離から撃たれた弾が致命傷になっています。しかし、サーハンはケネディから30センチは離れていました。それでは、そんなに至近距離にいたのは誰だったのでしょうか。

1981年には、ロナルド・レーガン大統領が側近やシークレット・サービスに囲まれながらホテルの前を歩いていると、ヒンクリーという青年に撃たれました。そして、レーガン大統領はシークレット・サービスに押し込まれるようにリムジンに乗り込み、病院に急行して一命をとりとめました。ここでも、FBI はヒックリーの単独犯行ということで押し通そうしますが、それに疑問を投げかける説も多くありました。実際、事件の一か月後に開かれた記者会見でレーガン大統領は、リムジンに乗り込むまで銃弾の衝撃を感じなかったと話しています。体が麻痺するような痛みを感じたのは車内に入ってからだそうです。それでは、リムジンに乗り込んだあと、レーガンと一緒にいたのは誰たっだのでしょうか。

最後に、1983年のべ二グノ・アキノ氏暗殺事件です。アキノ氏は、反体制派の指導者でした。当時、マルコス大統領の独裁統治下にあったフィリピンにアキノ氏は戻ることになります。飛行機でマニラ空港に着陸し、フィリピンの護衛兵に囲まれながらアキノ氏がタラップを降りかけた瞬間、数発の銃声が鳴り響きます。銃弾の一発が後頭部に命中しアキノ氏は即死しました。滑走路にいたガルマンという男が犯人ということで、近くにいた護衛兵に即座に射殺されます。しかし、この事件を調査した委員会は、意外にも30センチから45センチの至近距離から撃たれたという結果を出します。アキノ氏が飛行機から出るときに、彼の後方30センチから45センチにいたのは誰だったのでしょうか。

以上四つの事件では、いずれも単独犯ということで結論付けられていますが、警備が厳重な要人を、一般人が暗殺できる確率はかなり低いのではないかと思います。そして、いずれも犯人の精神状態は普通ではなく、マインドコントロールされいる可能性は否定できません。さらに、どの事件も被害者の致命傷となった銃弾を発射できるポジションにいることができるのは、被害者当人を警護するような立場の人ということがあります。弾道学や各種証拠からすると犯人とされた人たちは、どうもおとりだったようです。

このような暗殺事件によって、その国の政情は不安定になります。そして、その国が混乱し、様々な争いが起きることを望む人たちがいるのではないかということを頭の片隅に置いておくことは大切です。

今回のわが国で発生した暗殺事件も、ある青年の単独犯で終わっていいとは思えません。これから調査が進むのかもしれませんが、本当の陰謀を隠すためには、大量の陰謀論が流されることも忘れないでおく必要があります。すなわち、今回の事件の真相が解明されることは重要だと思いますが、その過程で、真実を隠蔽する多くの活動も展開されるであろうということです。結局、私たち一般人は真実にたどり着けないかもしれませんが、早計に結論付けられる単独犯説に対して判断を留保することがあっていいと思います。また、このような暗殺事件で社会に混乱をもたらすことを目的とした計画があるのかもしれないと疑うことは、ある意味で健全な思考といえるかもしれません。