スペシャリストのすすめ

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要人暗殺にみられる一定のパターン

元首相が暗殺されるという事件が起きました。日本だけはそのような物騒なことは起こらないと思っていた人も多いと思います。この治安の良い日本で起きた暗殺事件だけに、衝撃も大きかったのかもしれません。偶然にも過去の暗殺の事例について分析した資料を目にする機会があったので整理しておきます。

まず、1963年アメリカ大統領ジョン・F・ケネディの暗殺事件については、すでに多くの著作が出ています。ケネディ大統領は、テキサス州ダラスで自動車パレード中にライフルで射殺されました。銃撃の直後から陰謀の疑惑が浮上しています。一般的にはオズワルドという男の単独犯であるとされていますが、おとりにすぎなかったということです。弾道学と物的証拠から、ケネディは正面から発射された銃弾に当たっており、オズワルドの後方からのものではありません。当時、正面にいたのは誰だったのでしょうか。

次に、JFKの弟ロバート・F・ケネディが1968年にカリフォルニア州ロサンゼルスのホテルで暗殺されています。射殺された当時、大統領選に出馬していて民主党の指名を受ける予定でした。ロバート・F・ケネディが演説した後、大勢の支持者や記者に囲まれながら、食料貯蔵室エリアを通て戻っていこうとしたとき、サーハンという男に撃たれて頭部と胴体を負傷して床に倒れました。この事件もサーハンの単独犯行とされましたが、弾道学と目撃証拠から、3センチから8センチの至近距離から撃たれた弾が致命傷になっています。しかし、サーハンはケネディから30センチは離れていました。それでは、そんなに至近距離にいたのは誰だったのでしょうか。

1981年には、ロナルド・レーガン大統領が側近やシークレット・サービスに囲まれながらホテルの前を歩いていると、ヒンクリーという青年に撃たれました。そして、レーガン大統領はシークレット・サービスに押し込まれるようにリムジンに乗り込み、病院に急行して一命をとりとめました。ここでも、FBI はヒックリーの単独犯行ということで押し通そうしますが、それに疑問を投げかける説も多くありました。実際、事件の一か月後に開かれた記者会見でレーガン大統領は、リムジンに乗り込むまで銃弾の衝撃を感じなかったと話しています。体が麻痺するような痛みを感じたのは車内に入ってからだそうです。それでは、リムジンに乗り込んだあと、レーガンと一緒にいたのは誰たっだのでしょうか。

最後に、1983年のべ二グノ・アキノ氏暗殺事件です。アキノ氏は、反体制派の指導者でした。当時、マルコス大統領の独裁統治下にあったフィリピンにアキノ氏は戻ることになります。飛行機でマニラ空港に着陸し、フィリピンの護衛兵に囲まれながらアキノ氏がタラップを降りかけた瞬間、数発の銃声が鳴り響きます。銃弾の一発が後頭部に命中しアキノ氏は即死しました。滑走路にいたガルマンという男が犯人ということで、近くにいた護衛兵に即座に射殺されます。しかし、この事件を調査した委員会は、意外にも30センチから45センチの至近距離から撃たれたという結果を出します。アキノ氏が飛行機から出るときに、彼の後方30センチから45センチにいたのは誰だったのでしょうか。

以上四つの事件では、いずれも単独犯ということで結論付けられていますが、警備が厳重な要人を、一般人が暗殺できる確率はかなり低いのではないかと思います。そして、いずれも犯人の精神状態は普通ではなく、マインドコントロールされいる可能性は否定できません。さらに、どの事件も被害者の致命傷となった銃弾を発射できるポジションにいることができるのは、被害者当人を警護するような立場の人ということがあります。弾道学や各種証拠からすると犯人とされた人たちは、どうもおとりだったようです。

このような暗殺事件によって、その国の政情は不安定になります。そして、その国が混乱し、様々な争いが起きることを望む人たちがいるのではないかということを頭の片隅に置いておくことは大切です。

今回のわが国で発生した暗殺事件も、ある青年の単独犯で終わっていいとは思えません。これから調査が進むのかもしれませんが、本当の陰謀を隠すためには、大量の陰謀論が流されることも忘れないでおく必要があります。すなわち、今回の事件の真相が解明されることは重要だと思いますが、その過程で、真実を隠蔽する多くの活動も展開されるであろうということです。結局、私たち一般人は真実にたどり着けないかもしれませんが、早計に結論付けられる単独犯説に対して判断を留保することがあっていいと思います。また、このような暗殺事件で社会に混乱をもたらすことを目的とした計画があるのかもしれないと疑うことは、ある意味で健全な思考といえるかもしれません。