スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

ベーシック・インカムは日本で馴染まない?

竹中平蔵氏のYouTubeチャネルの評判が悪い。日本の貧富の格差を作り出した張本人の一人といわれているが、さすがに多くの人が彼の考え方に辟易しているのだろうか。コロナ禍によって、貧困層はさらに窮地に追い込まれているので、なおさら竹中氏に批判的な人が多いのかもしれない。

そして、日本社会の高齢化が進み、高齢化が所得格差の広がる原因であるといわれている。また、コロナ禍をきっかけにベーシック・インカムの議論も盛んになってきた。そろそろ日本も貧富の格差の是正に取り組まなければ、手遅れになる、あるいはもう手遅れなのかもしれない。

井上誠一郎「日本の所得格差の動向と政策対応のあり方について」RIETI Policy Discussion Paper Series 20-P016(2020年)によると、日本で年齢とともに所得格差が大きくなる要因は、年齢とともに賃金格差が大きくなる傾向を反映しているためという。これは2000年代に入ってから、若年層を中心に非正規雇用が増えて、所得格差が拡大し始め、当時の若年層が壮年期、中年期に入りだしており、所得格差の勢いが加速しているためとのこと。

図表はOECDの統計であるが、各国のジニ係数を比較すると、オレンジ色の棒グラフの通り、日本はアメリカやイギリスに追いつきそうな勢いにある。OECD平均のジニ係数は0.315で日本は0.339であり平均を上回る。イタリアの経済学者の名前からきたこのジニ係数の値は0から1の間をとり、係数が0に近づくほど所得格差が小さく、1に近づくほど所得格差が拡大していることを示す。明らかに北欧諸国は理想的であり、日本の数値をみるとかなり恥ずかしい気持ちになる。ちなみに、黒のダイヤは相対的貧困を表しているが、日本の全人口の10%が相対的貧困状態にある。

このような実態がある中で、各国の国民の意識を調査したInternational Social Survey Programme: Social Inequality IV - ISSP 2009によると、比較的所得格差が少ないフランスでも「自国の所得格差が大きすぎる」と考える人は、「そう思う」と「どちらかというと、そう思う」を合わせると91%もおり、ドイツでは89%いる。一方、アメリカはそのように考える人が66%しかおらず、イギリスでも77%しかいない。すなわち、アメリカやイギリスは所得格差が厳然と存在しているにもかかわらず、それを受け入れる傾向があり、フランスやドイツは所得格差を受け入れない傾向があるということになる。日本はどうであろうか。明らかにフランスやドイツより所得格差が存在しているにもかかわらず、78%の人のみが「自国の所得の格差は大きすぎる」と考えている。これは、日本がヨーロッパ大陸の影響よりも英米の影響を強く受けてきた結果なのかもしれない。

英米の影響を強く受けた日本社会は、「所得の格差を縮めるのは、政府の責任である」という意見についても、「そう思う」と「どちらかというと、そう思う」を合わせると54%しかいない。一方、フランスは77%、ドイツが65%、イギリスが61%であり、日本よりも高く、アメリカは33%で日本よりも低い。日本の54%以外の人、すなわち46%の人は誰が所得格差を是正すべきと考えるのであろう。

この結果を踏まえると、英米の影響を受け自助努力とか自由競争市場を掲げている日本社会では、ベーシック・インカムが機能しないように思われた。ベーシック・インカムは就労せず、納税していない者にも無条件で支給されるが、仮にベーシック・インカムを導入した場合に、就労せずに所得税を支払わない者が増えた場合はどうなるのであろう。

この場合、同額の給付を維持するには就労者の納税負担を増やすことになるので、納税者の理解が得られないのかもしれない。しかも貧困層にも富裕層にも一律に一定金額を給付しても、格差是正につながらない。むしろ生活必需品の値段が上がり、いずれベーシック・インカムでは最低限の生活も維持できなくなることにもなる。よって、ベーシック・インカムよりも、人間が生きていくうえで最低限必要な衣食住を満たす社会的共通資本の整備のほうが重要なのかもしれないと思うようになった。

正直、私には解を見出す能力はないが、もう何とかしなければならない、という思いだけはある。なんでも自己責任で済ませようとする日本は、あまりにも寂しく冷たい社会ではないだろうか。

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母子健康手帳とインド占星術

先日、必要があって麻しんと風しんの抗体検査を受けに病院へ行った。麻しんと風しんの予防接種を受けている証明になるかと思い、母子健康手帳を持っていたが、ジフテリア、百日咳、破傷風、BCGなどは確認できたが、残念ながら麻しんと風しんの予防接種はしていなかったようだ。1968年(昭和43年)生まれの私の時代には予防接種はなかったのであろう。

そこで、実家の母に確認したところ、どちらも罹患しているということなので、おそらく抗体はあるだろうとのこと。そして、医師が驚いたことには、私の古い母子健康手帳が残っていたという事実である。医師がいうには、彼自身の母子健康手帳をみたことがないとのこと。この点、自分の母に感謝しなければならない。

私の母子健康手帳が手もとに残っていた理由に、実はインド占星術が関係している。1996年8月に、有名なインドの予言書、アガスティアの葉を探しにいった。当時、青山圭秀『理性のゆらぎ』(三五館、1993年)や『アガスティアの葉』(三五館、1994年)がベストセラーになっており、その予言書は日本でも有名になっていた。あることがきっかけで自分も自らの予言書を探してみよう思ったわけである。

そして、自分の予言書を探す手がかりとして、自分の生まれた場所と時間が必要であり、それで27歳のときに実家の母に依頼して、自分の生年月日と生まれた時間がかかれた手帳を自分が当時転勤で住んでいた青森県弘前市に送ってもらった経緯がある。

予言書のある場所はアガスティアの館といわれ、インドに何か所かあるようである。私が訪れた館は、当時マドラスといわれた、現在のチェンナイから車で2時間くらいのところにあるカーンチープラムというヒンドゥー教の7大聖地の一つにあった。

その村にアガスティアの館があり、ナディリーダーといわれる予言書を探す専門家がいる。ナディリーダーは館に5人くらいおり、代々、人々の親指の指紋から予言書を探し出す技術を受け継いでおり、教養と知性のある人たちだという。

そして、アガスティアの葉は古代タミル語で書かれているので、ナディリーダーは少なくとも古代タミル語が読めなくてはならない。よって、予言の解読には古代タミル語から現代タミル語に翻訳し、そして英語にして日本語にするという面倒な作業が必要になる。

予言はヤシの葉に書かれており、ナディリーダーに男性は右手親指の指紋、女性は左手親指の指紋を渡し、その指紋を拠り所に予言書を探し出すことになる。アガスティアの予言書は、インドの聖者アガスティアが残したもので、探しに来た人の70%くらいは自分の予言書をみつけるという。世界のどの国の人の予言が多いかというと、当然インド人のものが圧倒的に多いが、日本人の予言も少なからずあるという。また、欧米人のものは非常に少ないようだ。

結局、アガスティアは読みに来る人の分のみ予言を残している。いつ、何歳の時にくるのかも含めて準備をしている。読みに来ない人の予言を書き残しても無駄になるだけだからである。

予言探しのとき、ナディリーダーには、生年月日や経歴、両親の名前はもちろん、自分の名前も教えていなかった。よって、私の右手親指の指紋だけから探索することになる。そして、机の上には、アガスティアの葉の束が一つ置かれた。ヤシの葉であり、長さ40センチ、幅3センチ前後であり、一枚の葉に平均二人分の情報が書かれている。その葉をナディリーダーが読み上げながら、次のような質問をしていき、私は「イエス」か「ノー」のみで返事をする。

「あなたは、ソーシャルワーカーですか」

「ノー」

「あなたは土曜日に生まれましたか」

「ノー」

「あなたのお父さんの名前の最後の文字はサ行ですか」

「イエス

「あなたは政府の仕事をしていますか」

「ノー」

「お父さんは病気ですか」

「ノー」(実は父が病気であることに後で気づいた)

「お母さん名前の最初の文字はヤ行ですか」

「ノー」

「お母さんは先生ですか」

「ノー」

「お母さんの名前は三文字ですか」

「イエス

「あなたの名前はタカシですか」

「ノー」

「お父さんの名前はヒロキですか」

「ノー」

おおむねこのような質疑が40分くらい続き、一束目に該当する葉はなかった。そして、二束目の葉がナディリーダーによって読まれる。

「お父さんの名前でヤ行という文字はありますか」

「ノー」

「お父さんは病気ですか」

「イエス」(前の質問で誤って「ノー」といっていたのでホッとする)

「あなたは10日に生まれましたか」

「イエス

「あなたの名前で財産がありますか」

「イエス」(車がある)

「お父さんは自分の家を持っていますか」

「イエス

「お母さんの名前はユウコですか」

あれ!?

「イエス

「民間企業に勤務していますか」

「イエス

「二人兄弟ですか」

「イエス

「二人は独身ですか」

「イエス

「11月には生まれましたか」

「イエス

「お父さんの名前はマサジですか」

「ノー」

「マサジュ」

「ノー」

「マサズ」

「ノー」

「マサカズ」

「ノー」

「マサ・・・、マサ・・・、マサフジ」

「ノー」

ここで一気に、

「あなたの名はセイジ」

「イエス

「あなたは大学を出ている」

「イエス

「あなたは28年目を生きている」

「イエス

「お父さんの名前はマサトシ」

「イエス

「あなたの名前はセイジ」

「イエス

「1968年11月10日生まれ」

「イエス

「お母さんの名前はユウコ」

「イエス

「兄弟がいて姉妹はいない」

「イエス

「あなたは大学で法律を専攻していた」

「イエス

ここでナディリーダーは、

「OK?」

こんなやり取りで自分の予言をみつけることになった。私の場合、葉探しの時間は1時間半くらい。おそらく短い方ではないだろうか。ナディリーダーとのやり取りにおける回答は、すべて「イエス」か「ノー」で行われる。

興味深いのは何年目を生きているかを当てることである。もし、私が25年目あるいは30年目を生きているときに、カーンチープラムを訪れても自分の葉はみつからなかったことになる。紀元前3000年に実在したといわれる聖者アガスティアは、私が28年目を生きている27歳のときに、決意して日本の弘前からインドに来ることを知っていたことになる。

また、質問の中には私以外の名前がいっぱい出てくる。将来、「タカシ」さんという人が葉を探しにくるのか。あるいは「ヒロキ」さんという父親の子どもも葉をみにくるのだろうか。興味は尽きない。

そして、自分の予言がみつかった後は、ナディリーダーが自分の過去、現在、未来を読み上げてくれる。しかも、自分の過去には過去世も含まれており、私の前世はスリランカクシャトリヤ(武士・貴族)だったということ。当時、NPOを通じてスリランカの子どもを支援していたし、別の占星術師にも、前世はインドからスリランカに渡った僧侶であるといわれた。これは偶然なのだろうか。

自分の予言がどの程度当たっているか、25年近く経過した今から顧みると、およそ50%というのが客観的評価ではないかと思う。細かい点を突けば、間違っていたという部分も多いが、それでも大きな流れは正しいように思う。

間違いはいくつかある。たとえば、29歳で結婚するというが、34歳で結婚している。31歳のときに家を購入するというが、いまだに借家である。31歳で子どもが生まれるというが、35歳で第一子が生まれている。34歳のときに起業するというが、転職はしても起業はしていない、などである。

このアガスティアの葉に対する世間の評価はさまざまだと思う。私の評価は、人生のある時期にこのようなスピリチャルな旅をするのもよいと思う。できれば、若くて好奇心旺盛なときにインドを訪問するのがよい。しかし、その予言の内容に縛られることはない。やはり人生はある程度自分で創造できるようであるし、自由意志によって、ある程度の幅で運命も変えることができると思うからである。

50年以上前の自分の母子健康手帳からアガスティアの葉の話題になった。インドを訪問したのも25年前。時間というのも本当に存在するのか疑いたくなるくらい、過去のことが身近に感じられる。結局、過去にも未来にも生きられないので、今この瞬間が大事なのであろう。ある哲人は、未来は変えられるし、過去も変えられるという。未来も過去も存在しないのか、私たちの生きている世界の時間は、別の次元の時間と同じ流れなのか、いろいろ興味は尽きないが、しょせん自分の頭では結論にはたどり着けないということだけは確かである。

 

等価値制度に向けた働き方

これから労働者はスペシャリストになっていく。雇用形態も多様になり、今までのように労働者が会社と労働契約を締結する形態と、個人事業主として業務委託契約を締結する形態の間に位置するような複合的な契約形態も出てくるかもしれない。いずれにしても旧来型の労働者からスペシャリストになった人は、会社と一対一の対等な当事者として契約を締結するようになる。また、一つの会社に所属するというよりも、自分の経験や知見、ノウハウを社会に提供するような働き方が一般的になる。

SFの世界の話のようであるが、ある星の生命体の進化した社会経済システムについて、坂本政道『激動の時代を生きる英知』(ハート出版、2011年)に記述されている。その進化した経済システムは「等価値制度」という。

その星の住人は、必要なものがあればスーパーに入って必要なものを必要なだけカゴに入れ、そのままスーパーを出る。お金を支払う必要はないという。そして、今度は自分のところに誰かが来て、自分が提供できるサービスを求めてきたら、そのサービスを無償で提供する。等価値制度と呼ばれる仕組みでは、みなが自分の提供できるサービスを必要とされるだけ無償で提供することで成り立つことになる。それぞれが自分の提供できるサービスをわかっていて、お互いが助け合う社会である。

このような社会経済システムが、すぐに地球上で実現するということではないが、等価値制度というシステムは今後人類が向かう方向であろう。このとき人々の能力や専門性は、みえる化されるわけで、現在の地球上においては、誰もが自分ができること、貢献できることを表明できなければならない。遠い将来には、自己アピールすることもなく、お互いがお互いのことをテレパシーで理解し合えるような世界もあるのかもしれないが、われわれが生きている間の時間軸で考える限りは、何かしら能力や実績のみえる化は必要になる。

今までの会社人間のように、いわれたら何でもやりますではなく、私はこれができますということを開示する必要があることになる。しかも人によって能力も性格も得意とする業務も違うのであるから、本来は競争することなくお互いが補完し合って世の中に価値を提供していけるはずなのである。しかし、今の経済において競争は善であり、怠惰は悪であるとされ、自由競争を通じて生産性を上げて技術革新をもたらすことができると信じられている。でも前述の等価値制度を前提に考えたとき、本当に競争は必要なのか? ということになる。

これからは仕事についても教育についても、それぞれの違いを生かすやり方が主流にならざるを得ないであろう。みなが同じことしかできなければ相互補完できずに競争で疲弊するからである。学校も30人くらいの生徒が同じ教室で授業を聞いて同じ試験を受けて評価されるというのもナンセンスになってくる。

仕事もそれぞれの得意な技術を磨いて、お互いが協働することで最高のパフォーマンスを引き出すことが大切になるであろう。企業の組織も軍隊型や官僚型のピラミッド構造は、現場の情報がトップまで届くのに時間がかかりすぎるので、現場に近い人がリーダーとしてプロジェクトを動かすような時代がくるであろう。テーマによってリーダーになる人は変わるので、いわゆる管理職というものは消える。

これからは、仕事についても教育についても自分のキャリア・プランも受け身ではなく、自分で積極的に動いていく必要がある。今までは会社が提供してくれる仕事をこなし、研修を受けて終わりであったものが、自分で自分のキャリアを計画的に設計していくようになる。

私の場合、30代半ばでスペシャリスト職という職種を選び、その後、所属した会社や雇用形態に変化はあったものの常にスペシャリストであることを意識し、人と競争しない分野で生きるように心掛けた。いつでも成功し続けたなどということはないが、一ついえることは非常に心地よく楽しい働き方ができているのではないかということである。他の働き方と比べれば競争というものにさらされていないように感じられる。

他者とは居場所をずらして黙々と、そしてひっそりと情熱をもって働き、常に他者との協働で何か成果を出せないか考えていくのは楽しいものである。会社への帰属意識以上に社会への帰属や貢献を意識しているほうが、自分の意識の広がりは圧倒的に安定してくる。しかも未来に向かっても広がりを持ち始める。そういう意味でスペシャリストとしての生き方は多くの人にすすめたいと思う。他者と競争することなく居場所をずらして協働する働き方が、人の潜在的な能力を引き出すであろうことを確信する。もうそろそろ競争という信仰を捨てて、それぞれのわずかの違いを最大限に生かす社会経済システムを目指したほうがよいと思う。

管理職の権限は使い方しだい

管理職は組織の中で社内規則に従い一定の権限が与えられている。仕事における特定の事柄に関して管理職は承認する権限を持っていることが一般的であるが、この管理職の権限は使いようによって、大胆にビジネスを創造する場合と、ビジネスの停滞をもたらす場合の二パターンに機能することがある。

まず、大胆にビジネスを創造する場合の使い方は、管理職が自分の裁量でできることを部下に伝えて、その範囲内で部下に自由に活動させる場合である。部門のメンバーに権限移譲することで、メンバーは伸び伸びと自由な発想で仕事をして、そこからイノベーションを起こしていくように使うことで、限られた予算と人員で最高のパフォーマンスを出すことになる。

もちろん、権限を逸脱していないか、法令違反がないか、公序良俗に反していないか、倫理的に問題ないかなどのチェックはする。しかし、基本的に部下を信頼して、あらゆることに口出しをするようなことはない。イメージとしては、どっしりと構えて大きな成果を待つような管理職である。

一方、ビジネスの停滞をもたらす使い方は、管理職が自分の権限を部下に示して、あらゆることに許可や承認を求めるやり方である。部門のメンバーは自分に裁量がないと思い、大きなことでも小さなこともいちいち管理職にお伺いを立てることになる。もし、管理職の承認なしにプロジェクトが進みそうになり、それをみつけると、かならずといっていいほどそのプロジェクトを止めることになる。別にそのプロジェクトの良し悪しを判断できているわけではなく、自分の権限の効き目を確かめるようにプロジェクトを止めることになる。組織におけるヒエラルキーを相互に確認し合うことが重要な目的になる。

このような管理職は、仕事の結果や部門のパフォーマンスへのこだわりよりも、自分の権限、すなわち組織内のパワーにこだわりがあるので、むやみに部下に承認を求める。そして、枝葉末節にまで判断業務が生じてしまい、自分がどんどん忙しくなる。さらにまずいことに、自分がこんなに忙しいのだ、ということを常にメッセージとして周囲に伝えたがるのも、この手の管理職の特徴である。

どちらの管理職が望ましいかは明らかである。もし大胆にビジネスを創造する管理職であれば、枝葉末節は気にしないし権限を誇示することにも興味がないので、プロジェクトを止めることはない。部下が考え出したプロジェクトが大化けするかもしれないという夢をみながら、部下の背中を押すことであろう。類型化するなら、部下を止めるのが仕事と思う「権限執着型」の管理職か、部下の背中を押して最高のパフォーマンスを達成する「ビジネス創造型」の管理職のといってもよいであろう。

そもそも権限執着型の管理職は、管理職になる前から権限にあこがれて下積み時代を過ごしている。よって、管理職になったとたんに、うれしくて権限行使をしてみたくなる。結果的に度が過ぎて業務は停滞して、自部門から優秀な人材も育たないことになる。一方、ビジネス創造型の管理職は、下積み時代から仕事の成果や顧客への貢献度、あるいは社会への寄与を意識しているので権限などに興味はない。権限は組織を潤滑に回す道具であり社内のルールではあるものの、それだけで仕事の成果は出ないことを知っているので、権限行使は最低限に抑えて、多くを部下に任せることになる。

このように組織内は階層的に権限が決められ、それに対して承認を与える管理職がいる。そして、この管理職が権限執着型になるのかビジネス創造型になるのかは、社内教育や企業文化が大きく影響することと思う。最初はビジネス創造型の管理職が多かったのに、組織が肥大化する過程で権限執着型の管理職が増えてしまうことも多い。

私はこの権限執着型の管理職の増殖を許す原因の一つに、日本の稟議書があるのではないかと思っている。形式を重んじる稟議書では、立案者が時間をかけて立派な書式で作成し、承認者である管理職が一発で承認も否決もできるシステムである。

一方、私が勤務していた外資系保険会社の承認プロセスは電子メールのみである。たとえば、承認してもらいたい事項の根拠を示して、最後に “I would be grateful, if you could support me on this business.”(このビジネスに関してあなたの承認を頂ければありがたいです。)などと書き、海外にいる上席者が一言 “You have my support”(あなたを支援する)とか、単に”Approved”(承認した)とか、“Agreed”(同意した)とか、あるいはもっと簡単に、ただ ”Noted”(了解した)などと書いて承認してくる。そして、承認しない場合は論点の照会があり、そこから内容に関して対話がはじまる。もし最後に承認されれば前述の英文が読めることになるし、もし承認されない場合は、”I would pass this business”(本件は見送る)などと書かれて終わる。

しかし重要なのは、承認のプロセスが対話型になっており、日本のようにセレモニー型になっていないことである。上席者は偉そうに承認のハンコを押したり、否決して差し戻したりするようなことはない。承認依頼をされている事項を理解し対話できるだけの専門性が必要なわけである。そのような視点でみると、アメリカの管理職は日本の管理職をみてどのように思うのであろうか。よく専門性もなく仕事を回せるな、という驚きと、やけに接待が多くて家族との関係は大丈夫なのかという余計な心配かもしれない。

メガネ店の商売と未来の経済システム

近年、老眼のため2年ごとのにメガネを買い替えなければならなくなってきた。メガネ屋さんは自分が中学生の時以来同じお店で、東日本に店舗を展開する有名なメガネ店のA社である。40年近いお付き合いということになるが、評判がよく社会貢献活動も活発な会社で信頼できると思っている。しかし値段が高い。前回は遠近両用メガネで10万円弱もした。これを2年ごとに買っていてはたまらないと思い、別のメガネ店のB社に相談してみた。

B社はA社よりも明らかに規模は小さい。担当してくれた認定眼鏡士は高齢で70歳前後ではないかと思われる。個人商店ではないがそれに近い雰囲気を感じた。しかし、提案や説明はとても丁寧であった。立て板に水、という話しぶりではなく、むしろ話し方は下手な部類に入るが、古いフレームを活かしてレンズだけ交換することを提案してくれた。そうすれば半額の5万円で済むとのこと。

ここで疑問がわいた。A社で購入したフレームもレンズも同じ製品でありながら、B社で購入すると7万円で済む。すなわち、フレームは2万円でレンズが5万円なので合計7万円である。A社でも同じフレームで同じレンズなので約3万円も差額がでる。

B社が説明するには、当該メーカーが最近値段を下げたのでそれだけ差が出たのではないかという。しかし、メーカーが3万円値下げするというのは、原価を考えると難しいのではないか。逆に過去の値決めを疑われメーカーの信頼を失いかねない。もう一つの可能性はA社の販売価格が多少高めだったのではないかという。

A社の認定眼鏡士はみな優秀で、だれが担当しても同じ結果がでる。同質で均質なサービスが提供されるので信頼される。しかし、メガネを買い替えるたびに担当者が変わる。同じ担当者に当たるのは珍しい。聞けば転勤もあるという。私を最後に担当してくれた人は、レンズのコーティングなどいろいろ提案をしてくれたので、最終の価格が上がってしまったということはあったと思う。しかも、説明が不十分で有料のオプションなのか無料なのかはっきりしなかった。あのとき、自分の中でA社の担当者に対する不信感が芽生えたのは事実である。

一方、B社は転勤がなく同じ担当者が毎回対応してくれる。よって、機会主義的に高値で売り付けたり、不要なオプションを組み込んだりすることはない。一対一の人間関係の中で商談が成立している。だまし討ちができない。

このように、大企業はだれが担当してもよいサービスが提供されるように訓練が行き届き、システマティックに組織が機能するようになっている。しかし、少しでも油断すると、人間関係や信頼関係よりも利益が優先されてしまうことがある。もちろん、経営理念や経営哲学は立派なはずである。しかし、末端の現場には達成しなければならない予算もあるし、支店長の考えも反映するので、必ずしも企業の理念が組織の隅々まで行きわたらないこともある。

そして、中小企業はどちらかというと人間関係重視で取引が成り立つことが多い。その会社を信頼するというよりも「あなたから商品・サービスを買う」という感覚が強い。たしかに、B社の眼鏡認定士は高齢なのでいつ引退するかわからない。あるいは病気になればお店にも出られない。しかし、顧客の側にある程度の割り切りがあれば、そのときはそのときだ、と受け入れることもできよう。大企業の「だれが担当しても同質の安定したサービス」と中小企業の「あなたから商品・サービスを買う」でどちらがよいかは顧客側の好みの問題ともいえる。

ただ、大企業でも「あなたから商品・サービスを買う」と思わせる人材もいる。このような人材は大企業でも最大手ではなく、2番手、3番手、あるいは中堅に多いと思われる。会社の看板だけでは勝負ができないと思う人が、自分を売り込んで勝負するというケースである。たとえ大企業に勤めていても、そのような精神で毎日精進することは大切であると思う。いつか大企業を卒業したときには、自分自身の力になるからである。

最初のA社とB社の話は戻る。私にA社に対する疑念が生じたわけであるが、A社はどうすればそれを回避できただであろうか。あり得る方法は取引をすべて開示することだったと思う。レンズ、フレーム、コーティング、その他技術料、A社の利益などすべてオープンにされていれば私は納得していた。そして、A社は40年近い常連客を失わなかった。最近、金融の世界でも説明義務とか情報提供義務ということがいわれるようになっているが、事業者側が知りうるすべてのことを顧客に伝えることは並大抵のことではない。事業者といえども理解できないことや知らないことは伝えられないからである。よって、日々最新の知識とノウハウを身に着けるべく精進することになる。

このような取引の透明性の確保に関する議論で興味深い内容が20年以上前にあった。ニール・ドナルド・ウォルシュ神との対話②』(サンマーク出版、1998年)によると、金銭の動きをオープンにするだけで、もっとたくさんのことが職場からも、世界からも消えるだろうという。それぞれがどのくらいお金をもらっていて、産業や企業、それにエグゼクティブにどれほどの所得があるのか、それぞれがどんなふうにお金を使っているのかが正確にわかったら物事は一変するという。本当のことを知ったら世界で行われていることの90%は許されないと。

さらに深淵な議論は続く。すべてがはっきりとみえ、記録をたどることができて、数字を確認できるオープンな国際通貨制度ができ、その新しい通貨制度でサービスや商品を提供すれば「貸方(クレジット)」が増え、使ったサービスや商品の分だけ「借方(デビット)が増えるようになる。すべてのやり取りはこの「貸方」と「借方」で計算する。投資の見返り、相続財産、給料やチップ、すべて。そして、「貸方」すなわちクレジットがなければ何も買えない。ほかに通貨はない。そして、だれの帳簿もみることができる。そして社会的共通資本のようなものは、それぞれが所得の10%を自発的に提供して支えることになる。だれがみんなのために10%を提供して、だれがしていないかすぐにわかるシステムである。すべてがみえるというのは恐ろしいようであるが理にかなっている。

この書籍の日本語版が出版されたのは1998年である。英語版は1997年である。そうすると、今から20年以上前からブロックチェーン技術の活用例が想定されていたのではないだろうか。これから量子コンピューターも開発されれば両方の技術の組み合わせで飛躍的に透明性の確保された世界が実現するのかもしれない。ブロックチェーン量子コンピューターも詳しくは理解していないが、よりよい社会ができるのであれば早く実現して欲しい。メガネ店の話から新しい経済システムの話に大きく飛躍してしまったが、この10年で大きく進歩するような予感がしている。

見知らぬ他人との口論からの学び

休日に近所のスーパーにある本屋に行った。どうも「氣」が悪かった。マスクをしていても呼吸が苦しいし、体の中が違和感でいっぱいだった。時折マスクを外さないと、居ても立ってもいられない不快感があった。10分もいられず、その場を立ち去ろうとしたとき、誰かが私の足を引っかけてきた。すねの上のほうまで相手の足が来ていたので、故意でなければ生じない現象であった。私はつまずき前のめりになるものの、転びはしなかった。相手は何事もなかったかのようにまっすぐ去っていってしまった。

私は心の中で「こんな男を世の中に野放しにしておくわけにはいかない」と思い、走り寄って「あなたは何をしたかったのですか?」と問い詰めた。「俺はまっすぐ歩いていた。お前えがよそみをしていたからだ」と抗弁してきた。「警察を呼ぼうか?」ともいった。

エスカレーター上で口論になるが、もちろんまともな議論になどならない。不毛なやり取りが続く。エスカレーターを降りた食品売り場の前では、「話をつけるから外に出ろ!」という。もちろん、目撃者を多く確保したいので、その場を動く気はなかった。彼は出口に向かって10メートルくらい歩き、私がとどまっているのをみて、戻ってきた。私は正義の剣を右手に「そんな態度で社会を生きているわけがないじゃないか。なんの意味があったんだ」と。彼は「俺はまっすぐ歩いていただけだ。失礼ないい方だ。外に出ろといっているだろ」と。私は「そんなにまっすぐ歩きたいなら、そのまま歩き続ければいい」というと、そのまま歩いて去ってしまった。

後で気が付いたが、彼は職を失ったホームレスだったかもしれない。30代後半か40代前半だと思われるが、上下防寒具を着て南京錠のかかった大きなリュックを背負っていた。そのほか小さなリュックももっていたので、ちょっと近所のスーパーに行くという出で立ちではなかった。マスクで顔全体はみえなかったが、目は充血してよく眠れていないのは明らかだった。しかし、口論になっているときには、そこまで思い至らない。彼と別れてから10分後くらいにその可能性に気がついた。

職を失い住むところも失い、時間を持て余して本屋を徘徊していた。自暴自棄になり、目の前を歩いていた私の足を引っかけたというだけかもしれない。「警察を呼ぼうか?」というのも、警察沙汰になれば食事は確保できるというのもあったのかもしれない。ただ、刑事事件になるにはどちらかがケガでもしなければならないのでハードルは高い。

もしその場で彼の背景がわかっていれば違う対応をしたであろう。たとえば、1万円だけあげるので、今晩なんとかしのいで明日から必死に仕事を探してみてよ、という対処もあったであろう。そんなの映画の中の話だ、ドラマじゃないんだから、といわれるかもしれないが、完全否定する理由もない。人は何かのきっかけで最悪の状況を脱することができるものである。

いずれにしても今回の事件で感じたことは、私の「正義論」などいい加減なものであるということ、平気で意味のない口論をして時間を無駄にする愚かさがあるということ、議論で何か問題を解決できると思っている馬鹿さ加減があること、問いかけ方を変えるだけでもっとポジティブな展開があり得たということ、マスクでまともな呼吸ができないため悪い氣を引き寄せることがあるということ、あるいは、せっかくのあの世からのメッセージをしっかり受け取れていないということなどである。

そもそも、最初に湧き起った「こんな男を世の中に野放しにしておくわけにはいかない」という感情は、自分のどこから来たのだろうか。今まで学んできたこと、あるいは社会で経験した規範意識であろうか。そうであれば、そんなものは必要なかった。私が「裁判官」になって彼を裁く必要性などない。どのみち彼はいずれ何かの大きな出来事で人生を軌道修正せざるを得ないときがくるかもしれないのだから。本来は私の出番などなかったのである。

これから失業者が増えて精神的にも肉体的にも追い詰められる人が増えてくる。私たちのすぐ隣にそのような危機的な状況の人がおり、まともな判断ができなくなっていることもある。このような荒廃した社会で今後数年すべての人が生きていくことになる。そこでは私たちの本質が問われているのであろう。このような社会で起きる様々な事象に対してどのように反応するのか、どのように対処するのか、一人ひとりが問われているようである。そういう意味でスーパーでの一件は、自分の愚かさを自分で垣間みることができた貴重な出来事であった。

翌日、同じ場所に行ってみたが彼はいない。あの格好で毎日スーパーに出没するわけもない。今日は別のスーパーで同じことをしているのだろうか。

昔の大学教授の魅力は人間力

本棚の奥から1992年の「大学院要覧」がでてきた。懐かしい先生の名前もあり、講義内容も説明されており当時の学問の流行も感じられた。そして、当時の先生方の業績はどのようなものだったのかと思い、国立国会図書館のウェブサイトの検索機能で調べてみて気が付いたことは、意外にも論文数が少ないということであった。

当時、〇〇の分野では権威であるとか、この世界の重鎮である、といわれていた人でも著作物の数で10本程度の人も多い。昔はどのように大学教員は評価されていたのであろうか。今であれば論文数や査読論文数、学会報告数、あるいは賞の受賞回数などいろいろな尺度で評価され、かなりの実績がオープンになっているので隠しようがない。

当時の授業も非常にゆるかった部分もある。日によっては喫茶店で世間話をして終わりということもあったし、毎回ではないが薬膳カレーを食べに行こうといってカレーを食べて終わりという授業もあった。大学院生なのだからしっかり自分で勉強してください、ということかもしれないが、そのようなゆとりのある先生は、意外に自分の業績には厳しく、常に論文を出し続けている人も多かったと記憶する。

今考えると1990年代の前半でそのような状況なのだから、1980年代や70年代はどのような雰囲気だったのだろう。今はいろいろな意味で情報開示が進み、授業の質や業績の評価も厳しく、大学教授などはさらし者になっているといってよいのではないだろうか。少なくとも普通の企業の従業員であれば、実績など人事部のみが知ることができて、部外者はよくわからない。そのような意味で、まだまだ企業に所属する従業員のほうがぬるいといえる。

このような厳しい透明性の確保された評価にさらされる大学教授であるが、学問の質や教育の生産性は向上したのであろうか。私は変わっていないか低下しているのではないかと危惧する。論文の数はたしかに増えているが、本当に熟慮され深淵な考察の中から出てきた論文は少ない可能性がある。昔は400字詰め原稿用紙に手書きで書いていたので、脳も活性化しスピードを重視していないので、それなりに深い議論や新しいキラリと光る着想の論文が多かったのではないだろうか。一方、今はスピード重視で数も増やさなければならない、ということで単なる解説のようなものも多い。また、学問が専門特化しすぎてしまい、全体を俯瞰する能力は明らかに低下してしまった。よって、収入源確保のための教科書を出版するというのはあるとしても、壮大な体系書を書ける教授というのは多くない。

最近は授業でパワーポイントも使うようになり、学生が飽きないような知恵も出しているという。お客様である学生に授業で満足していただくためには、いろいろ創意工夫が必要ということである。

しかし、自分の学生としての過去を振り返っても、授業が面白いかどうかよりも、どうもその先生が面白いかどうかで教育というものを評価していたように思う。大学教授の全人格的な魅力とか学問に対する情熱や深い思想に魅力を感じていたのではないか。

もう亡くなっているが、喜多了祐氏という商法学の権威が非常勤として講義をされていた。記憶するに「私の学説は多数説でも少数説でもありません。単独学説です」ということをおっしゃっていたと思う。だれも説いていないことを主張し提言しているという意味では、今でいうニッチ分野を走っていた研究者といえるであろう。

当時、大学教員の身分としては最後の年ということで、ほかの大学ですでに教員をされていた人も聴講にきていた。クラスの人数は3名しかいなかったので、もう一人加わると4名になり、明らかに外部の人であることはわかった。すでにどこかの大学の教授であるという。しかし、そのような人が聴講したくなるほどの人間的魅力をオーラとして出していたのであろう。

自分も講義の内容はすべてわからなかったと思うが、そこはかとなく先生の魅力には惹かれていたと思うし、その後、著作を買って拝読もさせてもらった。しかし、私のレベルで理解できるような代物ではなかった。よって、意外な答えは、授業など理解できようが、できまいが関係ないということ。パワーポイントを使ってわかりやすくなどという配慮もいらない。その教授の人間的な奥深さや突飛さ、あるいは異色な才能、異彩を放つ説、型破りな発言など、そのようなことのほうがよほど学生を刺激するには重要だということではないだろうか。

最初の話題に戻り、それでは大学教授は何をもって評価されていたのであろうか。おそらく、所属する学会での発言や数少ないが鋭い論文、あるいは所属するコミュニティにおける絶対的な評価や評判というものがあったのではないか。「あの人のいうことなら間違いない」というような動かしようのない評価というものがあったのかもしれない。

今は教育の世界には競争原理が導入され、常に追い詰められた状態での教育と研究である。しかし、教育や研究はビジネスと違うので、100年後、200年後、あるいは1,000年後を見据えて考えてもらう必要がある。今年は株主に増配を、当期純利益は〇〇億円、中期事業計画で新規事業を〇本打ち出す、とかそのようなことではない。やはり人を育て、次世代の礎となる研究を積み重ね、何十年、何百年と社会を動かし変革するような教育を持続してもらいたいと思う。