スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

メガネ店の商売と未来の経済システム

近年、老眼のため2年ごとのにメガネを買い替えなければならなくなってきた。メガネ屋さんは自分が中学生の時以来同じお店で、東日本に店舗を展開する有名なメガネ店のA社である。40年近いお付き合いということになるが、評判がよく社会貢献活動も活発な会社で信頼できると思っている。しかし値段が高い。前回は遠近両用メガネで10万円弱もした。これを2年ごとに買っていてはたまらないと思い、別のメガネ店のB社に相談してみた。

B社はA社よりも明らかに規模は小さい。担当してくれた認定眼鏡士は高齢で70歳前後ではないかと思われる。個人商店ではないがそれに近い雰囲気を感じた。しかし、提案や説明はとても丁寧であった。立て板に水、という話しぶりではなく、むしろ話し方は下手な部類に入るが、古いフレームを活かしてレンズだけ交換することを提案してくれた。そうすれば半額の5万円で済むとのこと。

ここで疑問がわいた。A社で購入したフレームもレンズも同じ製品でありながら、B社で購入すると7万円で済む。すなわち、フレームは2万円でレンズが5万円なので合計7万円である。A社でも同じフレームで同じレンズなので約3万円も差額がでる。

B社が説明するには、当該メーカーが最近値段を下げたのでそれだけ差が出たのではないかという。しかし、メーカーが3万円値下げするというのは、原価を考えると難しいのではないか。逆に過去の値決めを疑われメーカーの信頼を失いかねない。もう一つの可能性はA社の販売価格が多少高めだったのではないかという。

A社の認定眼鏡士はみな優秀で、だれが担当しても同じ結果がでる。同質で均質なサービスが提供されるので信頼される。しかし、メガネを買い替えるたびに担当者が変わる。同じ担当者に当たるのは珍しい。聞けば転勤もあるという。私を最後に担当してくれた人は、レンズのコーティングなどいろいろ提案をしてくれたので、最終の価格が上がってしまったということはあったと思う。しかも、説明が不十分で有料のオプションなのか無料なのかはっきりしなかった。あのとき、自分の中でA社の担当者に対する不信感が芽生えたのは事実である。

一方、B社は転勤がなく同じ担当者が毎回対応してくれる。よって、機会主義的に高値で売り付けたり、不要なオプションを組み込んだりすることはない。一対一の人間関係の中で商談が成立している。だまし討ちができない。

このように、大企業はだれが担当してもよいサービスが提供されるように訓練が行き届き、システマティックに組織が機能するようになっている。しかし、少しでも油断すると、人間関係や信頼関係よりも利益が優先されてしまうことがある。もちろん、経営理念や経営哲学は立派なはずである。しかし、末端の現場には達成しなければならない予算もあるし、支店長の考えも反映するので、必ずしも企業の理念が組織の隅々まで行きわたらないこともある。

そして、中小企業はどちらかというと人間関係重視で取引が成り立つことが多い。その会社を信頼するというよりも「あなたから商品・サービスを買う」という感覚が強い。たしかに、B社の眼鏡認定士は高齢なのでいつ引退するかわからない。あるいは病気になればお店にも出られない。しかし、顧客の側にある程度の割り切りがあれば、そのときはそのときだ、と受け入れることもできよう。大企業の「だれが担当しても同質の安定したサービス」と中小企業の「あなたから商品・サービスを買う」でどちらがよいかは顧客側の好みの問題ともいえる。

ただ、大企業でも「あなたから商品・サービスを買う」と思わせる人材もいる。このような人材は大企業でも最大手ではなく、2番手、3番手、あるいは中堅に多いと思われる。会社の看板だけでは勝負ができないと思う人が、自分を売り込んで勝負するというケースである。たとえ大企業に勤めていても、そのような精神で毎日精進することは大切であると思う。いつか大企業を卒業したときには、自分自身の力になるからである。

最初のA社とB社の話は戻る。私にA社に対する疑念が生じたわけであるが、A社はどうすればそれを回避できただであろうか。あり得る方法は取引をすべて開示することだったと思う。レンズ、フレーム、コーティング、その他技術料、A社の利益などすべてオープンにされていれば私は納得していた。そして、A社は40年近い常連客を失わなかった。最近、金融の世界でも説明義務とか情報提供義務ということがいわれるようになっているが、事業者側が知りうるすべてのことを顧客に伝えることは並大抵のことではない。事業者といえども理解できないことや知らないことは伝えられないからである。よって、日々最新の知識とノウハウを身に着けるべく精進することになる。

このような取引の透明性の確保に関する議論で興味深い内容が20年以上前にあった。ニール・ドナルド・ウォルシュ神との対話②』(サンマーク出版、1998年)によると、金銭の動きをオープンにするだけで、もっとたくさんのことが職場からも、世界からも消えるだろうという。それぞれがどのくらいお金をもらっていて、産業や企業、それにエグゼクティブにどれほどの所得があるのか、それぞれがどんなふうにお金を使っているのかが正確にわかったら物事は一変するという。本当のことを知ったら世界で行われていることの90%は許されないと。

さらに深淵な議論は続く。すべてがはっきりとみえ、記録をたどることができて、数字を確認できるオープンな国際通貨制度ができ、その新しい通貨制度でサービスや商品を提供すれば「貸方(クレジット)」が増え、使ったサービスや商品の分だけ「借方(デビット)が増えるようになる。すべてのやり取りはこの「貸方」と「借方」で計算する。投資の見返り、相続財産、給料やチップ、すべて。そして、「貸方」すなわちクレジットがなければ何も買えない。ほかに通貨はない。そして、だれの帳簿もみることができる。そして社会的共通資本のようなものは、それぞれが所得の10%を自発的に提供して支えることになる。だれがみんなのために10%を提供して、だれがしていないかすぐにわかるシステムである。すべてがみえるというのは恐ろしいようであるが理にかなっている。

この書籍の日本語版が出版されたのは1998年である。英語版は1997年である。そうすると、今から20年以上前からブロックチェーン技術の活用例が想定されていたのではないだろうか。これから量子コンピューターも開発されれば両方の技術の組み合わせで飛躍的に透明性の確保された世界が実現するのかもしれない。ブロックチェーン量子コンピューターも詳しくは理解していないが、よりよい社会ができるのであれば早く実現して欲しい。メガネ店の話から新しい経済システムの話に大きく飛躍してしまったが、この10年で大きく進歩するような予感がしている。