スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

日本の博士人材に関する意外な気づき

文部科学省が主催している、博士人材データベースというのがあるのですが、博士課程に在学している方、あるいは修了された方がメンバーになっています。

https://jgrad.nistep.go.jp/home.html

そこで、食事会があったので、めずらしく参加してきました。夜の東京銀座での開催で、横浜からの参加はかなり億劫でしたが、いくつか意外な気づきがあり良かったです。

気づきの一点目は、日本語が流暢ではない外国人が多かったことです。ネパール、スリランカチュニジア中央アフリカの出身の方がいました。研究には英語を使い、論文も英語、指導教授も英語で指導ということで、困ることはないのでしょう。たしかに、筑波大学のような学園都市であれば、周囲は英語ができる日本人も多いでしょうから、困ることはないのでしょう。日本も変わりました。

ただ、それ以外の普通の都市で生活する、あるいは仕事をみつけるとなると困難は想定されます。また、明らかに外見が違うことも、まだ日本で少なからず影響があるでしょう。しかし、話していれば聡明で、深い学識があることもわかるし、コミュニケーション能力も高いと感じました。ぜひこのまま日本で仕事をみつけて、日本語も修得してもらえれば、日本という国の大きな力になる思います。

また、特に日本社会で生きていくうえで重要なのは日本語ではないかと思います。日本人は誰かと問えば、日本語を話す人と定義できるぐらい日本語能力は肝要だと思います。外見の違いなどすぐに慣れるし気にならなくなりますが、多くの日本人にとって、日本語を話してくれるというだけで、関係性のハードルは一気に下がるはずです。私がフランス社会に受け入れられようとフランス語を必死で使うと、途端に打ち解けることができることからも推察できます。英語は世界語ではないのです。彼らの活躍に期待したいと思います。

二点目は、日本人の博士人材のコミュニケーション能力が高いことを知りました。博士人材はプライドが高くて扱いにくいなどのイメージがあります。しかしそれは勝手な先入観だということでしょう。むしろ、研究における限界を理解している、上には上がいるということを知っているという点で、みなさん謙虚でした。彼らが民間企業で活躍できるだけの素地は十分あると思います。

問題は、企業側にも学生側にも先入観があるということ。企業側は博士人材は使えないと考えている。使ったこともないのに。一方、学生側は大学や研究所でないと活躍の場がないと思っている。しかしどちらも先入観であり、とにかくやってみなければわからないということです。おそらく、意外に「いいね」という結論になると思います。とにかく実績を作っていくしか道はないのでしょうが、もっと双方の認識を柔軟にし、お互いをつなげる「場」というものが必要ではないかと感じました。