スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

言い訳に便利な "Nobody is perfect ! "

先日、一般書と専門書を出版し、三人の子どもたちにもそれぞれ献本しました。そして、意外にも一般書を読んでくれた大学1年生の長男が誤植をみつけてくれました。誤植というよりも、そもそも私自身の原稿が誤っていたものです。

本の内容には、読者の読みやすさのために、為替の正確さよりも一読して数字の規模感をつかめるように、1ドル=100円で表記した部分がありました。そして、1兆2000億ドルを120兆円と書くべきところを、122兆円と書いていたのです。

実はこの部分の表記は、文脈の関係で、一般書でも専門書でも両方の本で使っています。一般書と専門書は、それぞれ別の出版社なので、専門家である二つの出版社が見落し、そもそも私も素通りした誤りを、大学1年生の長男がみつけたことになります。自分にとって、このエピソードは意外な気づきが含まれいました。

すなわち、どんなに専門性があっても、どんなに長い人生を生きていても、自分の注意が向かない真実には、決して気がつかないというものです。私など、プロがチェックしているのだから大丈夫だろうとか、この人が書いている文章だから正しいだろうという思い込みで、真実や誤りを素通りしてしまうことがいくらでもあるのだと思います。おそらく、長男はそのような先入観もなく、書かれてあることを素直に読んでいったところ、その誤りをみつけたということでしょう。

そのように考えると、今も起きている様々な事象について、人それぞれ気づく部分と気づかない部分があり、それは、人生で多くの経験を積んでいるからとか、いろいろなことを学んできたからとか、あまり関係ないのだろうと思いました。きっと、人それぞれに「時」というのものがあり、同じ現象をみても、捉え方や気づき方は大きく違うのだと思います。よって、たまたま気づいた人が正しく、気づかない人が間違っているということでもなく、人それぞれで異なっていていいのだと思えるのです。

私は長男に、"Nobody is perfect ! " とLINEでメッセージを送り、言い訳をしておきました。この英語も時々に使いたい便利で好きな表現です。