スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

自分の外側に対する怒りから内省へ

長崎に原爆が投下された当時、秋月辰一郎医師は、長崎の浦上第一病院の医長でした。秋月医師は、自らも被ばくしながら、多くの人の治療に当たりました。特に有名な逸話は、自然塩を多く使った玄米おにぎりや、塩辛い味噌汁を摂ったことにより、彼自身や彼の患者たちは原爆症にならなかったという話です。

爆心地に近ければ近いほど、外観に損傷もなく、火傷もないにもかかわらず、一昼夜にして死んでしまう状況について、当時、秋月医師にしても、長崎医科大学の教授陣にしても放射線の知識はなかったのでよく理解できなかったそうです。よって、よほどひどく頭や胸を打撲したのか、という程度にしか思わなかったわけです。

放射線による死亡例は、爆心地から徐々に外側に向かって時間差で現れており、浦上第一病院にも迫ってきていることが感じ取れました。それを秋月医師は、「死の同心円」と表現しています。典型的な症状は、髪の毛が抜ける、肌が紫色になる、口内がただれる、下痢になる、胸がむかつくなどです。

その辺の経緯は、秋月辰一郎『長崎原爆記 被爆医師の証言』(日本ブックエース、2010年)で知ることができます。当然、当時の凄まじい状況や、秋月医師たちの想像を絶する苦難を理解する証言として参考になる書籍なのですが、私が注目したのは、秋月医師の内省による心の動きでした。最初は、アメリカに対する憎悪や、戦争を遂行した軍部に対する批判があったのにも関わらず、時間が経つにつれて秋月医師の内面にも変化が現れたと思える部分がありました。

それは、秋月医師の恩師である永井隆医師の著書の抜粋が付録として掲載されている部分です。原爆投下から2年後の秋月医師と永井医師の対話で、秋月医師は次のように述べます。

「ねえ。私らは何かといえばすぐに、無一物からこれまでに復興したんだと見えをきる。この根性が恐ろしいと私は気づいたのです。」

秋月医師の内面の変化が感じ取れる一言です。アメリカ軍にどんなにひどいことをされても、日本の軍部が愚かな戦争を遂行して犠牲になったとしても、憎悪や憤怒は、時間とともに変容し、思考はより深く内面に入っているようです。

論理的に考えれば、私も含めて多くの人は、なぜ原爆投下が必要だったのか、戦争をはじめた要因は何だったのか、アメリカが善で日本が悪なのか、戦争で金儲けした連中は誰なのか等、突き詰めたくなります。しかし、結局起きてしまった現象に対して、それに意味を与えるのは、私たちの思考そのもののようです。

現在の自分に置き換えると、朝鮮半島有事などで日本が戦争に巻き込まれるのではないかという懸念があります。愚かな政治家がとか、背後にいる戦争屋がとか、いろいろ言いたくなりますが、結局何が起きても、まず自分の内面の問題で、外側に答えを求めても自分自身の答えは見つからないということかもしれません。これからいろいろな点で、緊張が高まるのでしょうが、しっかりと自分自身で内省していくことを心がけなければいけないのでしょう。