職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

デジタル化で幸せになれる人は多くない

デジタル化で世の中は究極の監視社会となる。金融機関は、私たちの信用スコアを持ち、一人ひとりを格付けする時代がくる。たとえば、今でも信用調査によって、カードローンで借りることができる金額の上限が人によって異なるが、デジタル化が進めば、もっと迅速にきめ細かく借り入れ可能金額の上限は決まるであろう。人によって金融機関から受けられるサービスにも大きな差が出てくるものと思われる。このようなデジタル化を心地よいと思う人はどれほどいるのだろうか。

堤未果『デジタル・ファシズム』(NHK出版新書、2021年)によると、国全体のデジタル化を急速に進める中国では、信用スコアの点数によって、受けられる公共サービスに差がつけられるそうである。政府が好ましくないと判断した人物は、デジタル化した中国ではまともに暮らせなくなる。政府にとって信用スコアは管理型社会のツールとして便利ということ。デジタル化で先進国の中国は、日本のかなり先を行く優等生であるが、そこには人権というものへの配慮はほとんどないようである。

日本では憲法があるので、このようなことはすぐに起こらないが、徐々に人々はこのようなデジタル管理社会に慣れて、監視社会を容易に受け入れてしまう可能性もある。すでに、健康保険証が将来的に廃止される方向で検討され、マイナンバーカードに集約されるというニュースもあった。そうなると、将来はマイナンバーカードによって、すべて医療履歴は把握され、予防接種履歴なども追跡できることになる。プライバシーを含む個人情報はすべて国によって把握されるようになることを覚悟しなければならない。一見、便利だと思われるデジタル化は、人々から自由を奪い、行動はすべて記録される。

前述の堤氏の書籍によると、カナダのトロント市の市民がデジタル都市を拒否した事例が紹介されている。街中にセンサーが張り巡らされ、住民の行動を逐一スマホから追跡し、収集した膨大な個人データが都市作りの参考資料としてグーグルの姉妹会社に送られた。そこで住民は、「何月何日の何時何分にどんなゴミを捨て、どこからどこまでバズに乗り、どこの書店に寄ってどんな本を買ったか、誰と会ってどこで何を食べ、何を飲んだか、それを全部グーグルに知られることになる」ということに気がつき反発。行政側に圧力をかけてデジタル都市から撤退させることに成功している。

私たちは、デジタル化にこのような側面があることを、今一度考えておく必要がある。デジタル化が世界の傾向で止めることができないという風潮があるが、ある一定の規制を設けないと、私たちの生活は想像以上に制約され息苦しいものになる。おそらく一部の超富裕層と権力者だけがデジタル化の恩恵にあずかることができるのかもしれない。どこかで踏みとどまり再考する機会は必要であると思われる。