スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

人間が死ぬことを忘れた超エリート

人間はいつか死ぬのに、多くの野心的な行動をとり、意欲的な意思決定をする。非常に不思議である。身近な例であれば、会社に入り出世したいと考える。最終ゴールが代表取締役だとして、その先に何があるだろうか。あるいは、学問の世界では教授になり、より優れた業績を残すことだとして、その先に何があるだろうか。「向上心」といえば、聞こえがいいが、あきらめが悪いとも言い得る。結局、その先は死というゴールでしかないのに。

一方で輪廻転生の考えを受け入れると、来世において今生の努力が実ることもあるので、努力し続けることに意味を見出せる。私は輪廻転生肯定派なので、そのような思考もあり得るわけだが、今の努力は来世のためと思うよりも、やはり近い将来のためと考える傾向がある。よってあきらめが悪いことになる。また、多くの人は輪廻転生を受け入れていないようなので、やはり今の努力は、向上心を原動力とした近い将来の果実を期待してのことであろう。

一方、私たちは死ぬという前提を忘れていることが多いが、それを受け入れると行動や認識が変化するであろう。なぜなら向上心や努力の先には今生での成功があるかもしれないが、それも大したものではないと気づくからである。おそらく、あることを達成した後には、すぐに欠乏感が現れることを誰もが経験しているのではないだろうか。よって際限のない向上心など、快適な人生にとってかえって邪魔なくらいである。そして、人間は死ぬという前提を受け入れたくない人々の中でも力をもった超エリートは奇想天外な挑戦に出ることになる。

たとえば「超人間主義」と訳されるトランスヒューマニズムがそうである。日本トランスヒューマニスト協会によると、トランスヒューマニズムについて、高度な科学技術によってもたらされる不老・不死・不労の社会は、トランスヒューマニストがめざす理想のユートピアだと。

また、人工知能が人類の知能を超える転換点を2045年だと予想する未来学者のレイ・カーツワイル氏のシンギュラリティの仮説もある。人工知能が進化すると、何でもできる、何でも解決できるという万能感が生まれて、あらゆることがポジティブに捉えることができるようになるという。

さらには、ダボス会議の会長であるクラウス・シュワブ氏が声高に提唱するグレートリセットも、近い未来に社会秩序や構造は大きく転換して、新しい社会に生まれ変わるという。一部の超エリートが考える世界像を全世界に押し付けることで理想的な社会ができ上げるわけである。

しかし、どの思想も哲学も構想も人間の向上心や野心から出てきた理想像かもしれないが、その根本には自我、すなわち強いエゴがあることがわかる。西垣通氏は「人間が神になる未来を阻止しよう」こころの未来25号(2019年)において、超人間主義者が考える「賢明さ」は何かというと、どうやらデータ処理能力のことだという。今後、AIとバイオ技術が融合したアルゴリズムで万事を決定できるようになる。そして、アルゴリズムを操作できるのは、一部のエリートであり、大多数の民衆はサイボーグに転落する。まさに人間が神になるわけだ。

しかし、西垣氏が懸念するような、社会変革の動きを阻止しようとしなくても、一部のエリートはその傲慢さや自我のために行き詰るのではないだろうか。なぜなら、人類は、権力者の横暴を許すほど寛大ではないと思うからである。自由を愛する人々にしてみると、超エリートが考える世界は、滑稽なほどに暗黒世界として映っているはずだからである。