スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

ジョブ型もメンバーシップ型も選択肢にすぎない

ジョブ型かメンバーシップ型か、どちらがよいかというのは不毛な議論かもしれない。どちらを心地よいと思うかは人によって異なるし、人の一生の間で最初はメンバーシップ型がよいと思っても、年齢を重ねるとジョブ型がよいと考える人もいるかもしれない。

ある国立大学の学生に、ジョブ型雇用についてお話させていただく機会があった。しかし意外にも、聴講者の方はメンバーシップ型を望んでいるようで、私の話は響かなかった。もしかしたら、私の話は心地悪かったのかもしれない。国立大学の学生なので、それなりの大手企業に就職して、安定した仕事を得ることができる人たちだったのだろうか。別の機会に人事部の同僚に、同じ学生に対してメンバーシップ型についての話をしてもらったら、そちらの方が喜ばれたようである。学生にとっては心地よかったのかもしれない。

よく、日本社会では、あるいは当社でジョブ型は馴染まないという人がいるが、それはその人がメンバーシップ型を心地よいと思っているので、そのような表現が言い訳として使えるということだと思う。一方、メンバーシップ型は崩壊し、ジョブ型に移行するという人は、メンバーシップ型優位の従来型組織で行き詰り、次の打開策を探しているのかもしれない。どちらも、自分の都合のよいようにストーリーを想定しているだけなのだろうか。

私は今から20年前に自分の中でジョブ型に移行した。20代は典型的な日本企業で働き、労働組合もユニオン・ショップ制であったので、間違いなく退職年齢まで同じ会社で働くと信じていた。当時は55歳で役職定年で、60歳まで定年延長ができていた。考えてみると、自分もあと数年で当時の役職定年の年齢になる。

それではなぜ、30代前半でジョブ型に移行したのか。決して深く考えてのことではない。笑われるかもしれないが、いくつかの占星術師に将来は自分で事業をするといわれたので、これは大変だということで、自立することを急いだという単純な理由になる。そんないいかげんな動機で、と思われるかもしれないが、人生の選択はその程度のきっかけで行われるこもある。

今振り返っても、ジョブ型の利点はいくつかみつけることができる。たしかにある程度自立しているので、所属組織に依存しようとする気持ちは希薄である。別の組織へ横に移動しても、かなり早い段階で順応して即戦力になれる。強い運も必要だと思うが、自分で事業をする可能性も残されているので、定年のない生き方もあり得る。これらのことはメンバーシップ型でいる限りはなかなか可能性として出てこないであろう。

一方、自分自身も二冊目の専門書『先端的賠償責任保険:ファイナンシャル・ラインの機能と役割』(保険毎日新聞社、2020年)を上梓できたので、当該分野では専門性があるといえるが、あまりにもニッチなために、自分が組織や社会に貢献できているのかという不安も常につきまとう。どこかで深く掘り下げることをやめて、もう少し一般の人や組織、あるいは一般社会にも受け入れられるように、自分の専門性を横に広げたほうがいいのではないかという考えも浮かんでくる。結局、メンバーシップ型でいようとジョブ型でいようと悩むのである。

ただ、私にはメンバーシップ型の人の悩みはわからなくなった。肌で感じることができなくなった。定年という期限を設定されて焦るのか、あるいは希望すれば定年までは組織に所属できるので安心だと思うのか、どうなのだろう。

いずれにしても、ジョブ型もメンバーシップ型もどちらが良いということよりも、その選択がその人の人生そのものということかもしれない。私の当面の迷いは、占星術がいうようには、いまだに自分の事業はスタートしていないということ。もし、今の雇用契約業務委託契約と考えれば、自分で事業をしているともいい得るのではあるが。