スペシャリストのすすめ

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ワクチンパスポート制度の先にある危機

東京都でワクチン接種証明アプリの運用が開始された。ただし、あまり浸透していないようである。そもそも、このようなアプリの登録は個々人で行われ、協賛店になるかどうかの判断も事業者にある。もちろん、国や自治体から強制されるものではない。差別的な店だと思われることを懸念して躊躇する店もあるであろう。

一方、いわゆるワクチンパスポート制度に対しては、少なくとも、埼玉県、神奈川県、兵庫県弁護士会から差別を助長するということで強い懸念が声明文として表明されている。すなわち、社会生活のあらゆる場面で接種証明書の取得と提示が求められることは、ワクチン接種を望まない人まで接種を強いられる状況を作り出す。これは人々の自己決定権(憲法13条)を侵害するものであり、接種しないことを決めた者の幸福追求権(憲法13条)や移動の自由(憲法13条、22条1項)を不当に侵害するものであるとする。

憲法13条

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

憲法22条1項

「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」

さらに、埼玉県の弁護士会は強調する。ワクチン接種後であっても新型コロナウイルスに感染する事例があるなか、ワクチン接種者と非接種者とを正当な理由なく差別することは、平等権を保障した憲法14条に違反すると批判する。

憲法14条

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

昨年改正された予防接種法9条は、ワクチン接種を努力義務にとどめ、また、予防接種法及び検疫法の一部を改正する法律案に対する附帯決議において「接種するかしないかは国民自らの意思に委ねられるものであることを周知すること」が掲げられた。

しかし、その後の政府の対応を見る限り、そのような周知徹底はおろか、ワクチン接種が当然のことのような社会環境が作り出されている。政府が無作為や沈黙を決め込んでいることは事実であろう。それどころか、3回目の接種が推進され、5歳から11歳までの接種も検討されている。しかも、交差接種も可能になり、ワクチンの在庫処分が優先されているのではと思わせる勢いである。

今のところ、ワクチンパスポートで国民の移動の自由が極端に奪われていることはない。しかし、これも憲法に緊急事態条項が規定されれば、大きく変わることであろう。芦部信喜憲法〔第5版〕』(2011年)によると19世紀から20世紀にかけて西欧諸国では、非常事態に対する措置をとる例外的権力を実定化し、その行使の要件をあらかじめ決めておく憲法も現れるようになったという。①緊急権発動の条件・手続・効果などについて詳細に定めておく方式、②その大綱を定めるにとどめ特定の国家機関に包括的な権限を授権する方式の二つがある。しかし、危険を最小限に抑えるような法制化は極めて困難であり、とくに②は濫用の危険が大きいとする。今の欧州各国をみれば明らかであろう。

私たちには現在、散歩の自由や登山の自由、買い物の自由など、小さな自由も含めて人身の自由が認められている。人身の自由については、憲法に明文規定がないとされているが、曽我部真裕「日本国憲法における移動の自由」法学セミナー66巻7号(2021年)によると、一般的な根拠規定を挙げるとすると憲法31条だとする。

憲法31条

「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」

もう一度、以上の各条文を丁寧に読み返すと、普段はその恩恵を意識することは少ないものの、我々の自由と権利が確実に保障されていることに気づかされる。

しかし今後、自民党改憲案を受け入れてしまうと、おそらく、そのような小さな自由も含めて根こそぎ奪われてしまう可能性がある。想定される緊急事態は感染症だけではない。戦争、テロ、自然災害、環境汚染など、いろいろあり得る。ときの権力者にとっては、こんなに使い勝手のよい条項はない一方で、我々国民としては、受け入れがたい状況を作り出すことになるであろう。ワクチンパスポートは単なるきっかけにすぎないかもしれない。その先にある重大な危機を意識しておく必要があるのではないだろうか。

今一度、憲法は国民の権利や自由を守るために国家権力を制限する最高法規であって、国民の権利や自由を制限する、あるいは奪うものではないことを思い出す必要がありそうだ。