職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

大切な決断を他者に移譲していいのか

日本における新型コロナワクチンの接種者もかなり増えてきている。どこまでが自分の判断によるものか、どこまでが周りの雰囲気に影響されたものか、どこまでがウイルスに対する恐怖心によるものか、各人の判断の拠り所となったものは本人でなければわからない。あるいは同調圧力ということで、本人の望みではなかった場合もあるのかもしれない。

しかし、本当に自分の頭で考えて、自分で調べて意思決定している人がどれほどいるのだろうか。國部克彦「新型コロナウイルスをめぐる責任と判断-ワクチンの倫理をめぐって」神戸大学大学院経営学研究科(2021年)では、次のとおり問題提起する。

新型コロナウイルスをめぐる責任と判断―ワクチンの倫理をめぐって | 神戸大学大学院経営学研究科 (kobe-u.ac.jp)

未知のウイルスに対するワクチン接種の状況から、本来であれば全ての人が自己の責任を自覚してして、真剣に議論しなければならないのに、多くの人が思考停止して判断を他者に移譲してしまっている。しかもその判断を移譲された他者が正しいかどうかの根拠も十分確かめている形跡がない。

ワクチンのメリットとリスクに関する国民的議論は、ほとんどなされることのないまま、ワクチン接種が当然のように進められ、政府が予定通りワクチンを供給できない状況も生じている。多数派はワクチン接種が当然のこととし、少数派がそれに異議を唱える構図はあるものの、ほとんど建設的な議論はなされていない。マスメディアには多数派の意見しか出てこないし、SNSにおいても少数派の意見や動画は削除されており、およそ議論というものは成り立っていない。

そして、國部氏は、人類にとっての未知の脅威に対するこのような一方的な対処法や、それを無批判に受け入れて判断を移譲してしまう人間の行動に倫理的な問題はないのかと問う。そして、一例としてワクチン接種担当大臣のワクチンデマについて、なぜデマと断言できるのか疑問を呈する。ワクチンデマとして掲げたのは次の7項目。

①ワクチン接種された実験用のネズミが2年で死んだ

②ワクチン接種により不妊が起きる

③卵巣にコロナワクチンの成分が大量に蓄積する

④ワクチン接種で遺伝子が組み換えられる

⑤治験が終わっていないので安全性が確認されていない

⑥長期的な安全性がわからない

⑦ADE(抗体依存性増強現象)が起きる

そして、これまでデータが示すのは、短期的な安全性のみで、少なくとも③と④には、それを証明する科学的証拠はないかもしれないが、それを否定する証拠もない。⑤と⑥に至ってはデマではなく、完全な事実であるとする。

まさしくそのとおりであり、このことに対して真剣な議論が起きないこと自体、思考停止状態ということであろう。少なくとも素人の私でさえも、ウイルスや免疫を長年研究してきた大橋眞氏の『新型コロナワクチンの闇』(知玄舎、2021年)を読む限り、卵巣にワクチンの成分が蓄積する可能性があることぐらいわかる。大事な点は、薬は病人が飲むもので副作用があることを承知しているが、ワクチンは健常者が打つわけで、薬のように副作用があってもよいという単純なものではない。わずかでもリスクがあるのであれば、警戒するのが当然のスタンスのはずである。しかし、多くの人はそうではない。それどころか、ワクチン接種者同士の副反応自慢まで出てきている状態は、何か悪い夢でもみているようである。

私が懸念することは、重要な判断を他者に委ねてしまっている人がいかに多いか、ということ。なぜ自分で考えて調べないのか。何となくリスクがあるかもしれないが、社会の流れに乗らないといけないと思うのだろうか。その気持ちはわからないでもない。社会全体がある一つの方向に向かっているのに、自分だけ逆走することに対する不自然さや違和感は誰でも持つ。しかし、ワクチンの安全性は命にかかわることのはずである。それなのに社会の全体感を感じとって、決断してもよいものだろうか。いつまで眠り続けるのかと問いたくなる。しかも、12歳の子どもまでがワクチン接種できる現状で。

今後、ワクチンによる被害がどのように拡大するのかわからない。ただ、すでに現れている事象をみるだけでも、それなりの被害がでている。製薬会社が製造物責任は免責されているが、そのこと一つとっても不可思議である。レストランの店主は食中毒を出さないように、細心の注意を払って料理をする。それは何かあれば製造物責任を問われるからである。製造物責任法が、事業者に注意深くなるようインセンティブを与えているわけである。

ところが、今の製薬会社には、安全なワクチンを開発しようというインセンティブすらない。そのような状況で開発されたワクチンをなぜ安全と信じることができるだろうか。あらゆる論理が破綻しているのに、誰も疑問に感じないこの状況には、大きな何かが横たわっているとしか思えない。短期間でできることではない。長年かけて築いてきた洗脳であったり教育かもしれない。ここまで多くの人を眠ったままにすることができるものは何なのか。

仮にワクチンによる被害が隠し切れないほど拡大したとすると、被害者たちはどのような行動を起こすだろうか。政府に責任追及する、政府に補償請求する、ワクチン接種担当大臣に責任を押し付ける、ワクチンを推奨していた専門家の責任追及をするなどかもしれない。ただ、製造物責任を免除されている製薬会社の責任追及および損害賠償請求はできないことを忘れないでおくべきである。そして、最も忘れてはいけないことは、人生の重要な判断を他者に移譲したということである。大切な意思決定を他者に委ねておきながら、仮にワクチン接種担当大臣を責めたとしても、そこに倫理的な問題があるのではないかということかもしれない。

暗い話になってしまったが、ワクチンのデトックス法はあるはずだし、私の懸念も杞憂かもしれないので、引き続き明るい未来を描き続けたいと思う。