スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

先端的科学にも限界があるはずなのに

自然科学、社会科学、人文科学、どれでも科学と呼ばれるものには常に限界があるはず。しかし、今のパンデミックの状況で、あまりに科学を過信しすぎている専門家がいるように思える。少なくとも断定できる結論など存在しないのになぜであろう。「絶対」という言葉が使える場面は「人は絶対に死ぬ」というときくらいではないか。

自分の専門は「先端的D&O保険」。ここで難しい理論を説明することはできないが、要約すると、会社が保険契約者となって、会社役員を被保険者として、損害賠償請求や規制当局の調査等から役員を守る保険になる。日本では「会社役員賠償責任保険」といっており、英語では、"Directors' and Officers' Liability Insurance"なので「D&O保険」となる。事案によっては、会社と役員の間に利益相反が生じることもある保険である。

典型的な利益相反事例は、役員が不祥事を起こした場合に、会社が役員を訴えざるを得ないことがある。この場合、会社が当該役員に対して、損害賠償請求をすると、その役員の弁護士費用等がD&O保険で補償されてしまう。そうなると、役員が不祥事を起こしているにもかかわらず、会社が当該役員を訴えることを躊躇せざるを得ないことも生じる。

なぜ、このような理不尽な保険約款が世の中に存在するのだろうと思う人もいるかもしれない。しかし、現実社会で起きることは複雑で微妙なことが山ほどある。たとえば、不祥事を起こした役員がいたとしても、それが立証されていないことがある。不祥事があったかどうか不明な段階では、その役員が自分を防御するための弁護士費用等をD&O保険で補償されることに合理性があるわけである。この場合のD&O保険は、役員が自分は無実であることを立証するための、正当な防御活動への財政的な支援になる。ただし、裁判における確定判決で有罪等が確定した場合には、支払われた保険金は保険会社に払い戻すことになる。

このような保険は、訴訟社会のアメリカで生まれている。数えきれないほどの訴訟事案を経験して、徹底的に揉まれた先端的な保険約款といえる。しかし、私自身が論文を書いたり、専門書を出版したり、学会で賞をいただいたりしても、自分にいえることは「正しい答えはない」としかいいようがない。あるいは、企業によって答えは違うということかもしれない。

保険約款作成時に現実社会のあらゆる事象を想定することは不可能であるし、実際に生じた複雑系の事象を、完璧に規整する保険約款等はそんなに考えつくものではない。結局、実際に保険事故が生じてみて、はじめてこんな機能があるのかと気がつくこともある。加入している保険契約者も、保険を提供している当の保険会社でさえ、保険がこんな機能をしてしまうの! と驚くことがあるわけである。

よって、先端的といって、その分野を探求しても、ただ自分の目の前に未知の世界が広がるだけになる。保険約款なので契約法の一種であり、学問的カテゴリーとしては、保険法であり法学であり、社会科学である。このように科学というものは限界があるのだと思う。これは、自然科学も人文科学も同じであろう。

今、コロナの問題で様々な対立軸ができ、議論が展開され、誹謗中傷に発展するケースまでみられる。もちろん、科学の発展には健全な議論は欠かせない。ただ、人の命にかかわるテーマで、しかも未知の世界、人類初のテーマにおいて、あまりにも安易に結論づけてしまう研究者がいることが不思議でならない。自らが生きている80年程度で何がわかるというのだろう。

私たちができることは、せいぜい自分でできることを学び探求し、次の世代にバトンタッチすることくらいではないかと思う。自分が生きている間だけと思えば、断定的な物言いも可能なのかもしれないが、私はどうしても次の世代のことを考えると、一人の人間として躊躇してしまう。