スペシャリストのすすめ

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「破局論」を前提としたワクチン接種か

アメリカでは1976年の豚インフルエンザの流行に対して、全国民への予防接種という政策をとり、多くの副反応を起こしてしまった。しかし、結局は豚インフルエンザの流行は起きなかったということがあった。起きてしまえば取り返しのつかないことになる、という思考は、フランスの社会学者ジャン=ピエール・デュピュイによると「破局論」というそうである。

「起きてしまえば取り返しがつかないことになる」という考えは、「しないよりはした方がよい」という結論になる。冷静な統計的分析の結果、確率的に低いはずなのに、十分起こり得るという幻想に考えをシフトさせる。

リチャード・E・ニュースタット=ハーヴェイ・V・ファインバーグ『豚インフルエンザ事件と政策決断』(時事通信社、2009年)によると、当初アメリカの疫病予防管理センター(以下「CDC」)は、委員会を開いたときに、パンデミックの可能性は2~20%であると考えていたそうである。しかし、大統領に報告書があがる段階では、ほとんど確実にパンデミックが起こる内容に変わっていた。

もし、ワクチンを製造しながらも全国民に接種せず、備蓄を選択した場合、CDCが何も対策をとらなかったという評価に代わってしまう。なぜ、予防接種を勧告しなかったと批判されることになる。この批判を恐れたCDCの委員は、予防接種をするという判断をしてしまった。その結果、ワクチンの副反応で大きな被害を出してしまった。

この破局論を目の前にしたとき、どのように判断すべきなのだろうか。CDCの委員の一人は、次のように述べる。

「私は、一般論として、ヒトの体のからだの中に異物を入れることには慎重であるべきと考えています。それは常に正しいはずです。2億人ものからだでそれをやろうちしている場合には特にそうです。接種の必要性は控えめに見積もるべきです。もし、必要性がなければやらないことです。」

私には当然の意見のように聞こえるが、今の日本はそうではない、破局論に突き進んでいるように思える。コロナによる20歳未満の死亡例はない。ワクチンによる20歳未満の死亡例が出ないことを祈るしかない。

厚生労働省の2021年6月9日時点の報告書によると、ワクチン接種後の死亡例が139件である。すべて「因果関係が評価できない」という報告になっている。139体の司法解剖などしているのだろうか。本来は「評価していない」が正しい表現ではないのだろうか。多くは因果関係なしで処理されるのであろう。