職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

陰謀説に対してとり得る心的態度

アメリカの情報公開法に基づき、感染症対策のトップである、ファウチ博士の866頁もの電子メールが公開され、いろいろな憶測が飛び交っている。武漢の研究所に関係がある人物とのいくつかの電子メールは、2021年6月1日のワシントン・ポスト紙で読むことができる(The Washington Post Anthony, Fauci’s pandemic emails: ‘All is well despite some crazy people in this world’ June 1, 2021)。

陰謀説も再燃し、コロナウイルス生物兵器であるとか、自然由来ではなく人為的に作らたものであるとか、様々な見解もではじめている。一方で、CNNでのインタビューでは、ファウチ博士が「ばかげている」「どうにでも解釈できる」と反論している。

このように陰謀説とそれを否定する立場に対して、私たちはどのような心的態度を取れるであろうか。どんなに情報を追いかけて、真実らしき証拠を掴んだとしても、それは「真実らしい」の域を出ない。複数の情報源を探し、客観的に分析しようとしても、結局、結論にたどり着けない。

ワクチンに関しても、絶対に危険であるという意見もあれば、問題ないという意見もある。この見解に関しても、いくら証拠を掴もうとしても、真実らしき情報にたどり着くことは可能であるが、「真実」であるかは結局わからない。

このような状況で、私たちがとり得る心的態度は、自分に悪影響がないのであれば、放っておくことではないだろうか。私はワクチンの接種の予定はないし、子どもたちにも接種させるつもりはない。ワクチン開発に5年から10年必要といわれているものを1年で開発したわけで、それは問題がないわけがないという直感に従う予定である。よって、陰謀説が正しくても間違っていても、私には関係ないという立場でいられる。科学リテラシーがないといわれても、千年後、二千年後の科学からみれば、今の科学は小学校の理科の実験程度であろう。よって平気である。

仮に陰謀説が真実だとしても、しょせん人間の陰謀は、どこかで軌道修正させられる。ビジネスの世界で事業計画を作成し、そのとおりに現実が進まないのと一緒で、人間がやっている限り、どこかで修正が必要になる。よって、陰謀が背後にあったとしても、人類にとってちょうどよい具合に計画は頓挫する、あるいは修正を余儀なくされると考えておけば気楽ではないだろうか。

マスメディアは、ワクチン接種が当然という風潮もある、ワクチン・パスポートの話もある、小学生にワクチン接種を推奨する自治体もでてきた。何とも暗い気持ちになるが、少なくとも自分は接種しないと決めておけば、それでよいではないか。仮に子どもたちが自分の判断でワクチンを受けたいといった場合は、自分なりに最大限努力して思いとどまらせると思うが、残念ながら自分の直感は自分にしか使えないということであろう。