職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

本日発売『一市民の「コロナ終息宣言」』

ユニークな出版社のおかげで『一市民の「コロナ終息宣言」』(アメージング出版、2021年)を出版する機会をいただいた。

一市民の「コロナ終息宣言」 | 山越誠司 |本 | 通販 | Amazon

はしがきの一部より

「本書を執筆しようと思ったきっかけは、自分の3人の子どもたちとの新型コロナウイルスに関する対話から出てきた疑問からであった。3人とも地元の学校に通い、普通の子どもと同じ教育を受けて、同じように遊んでいる。その3人に対してコロナ禍に関する自分の見解を述べると、自分自身の考えが相当ズレているのだと思い知らされた。

学校では知識を学べるが知恵は得られない。本当はおかしいと思っても、その違和感がどこからくるのか探求するようなことはない。教育者がある決められた事実を子どもたちに知識として暗記させることが教育になる。もし、批判的精神や問題提起、課題設定などを学ばせたら、今度は大人の側に不都合が生じるから、そのような教育はしない。親も多くの場合、自分達がいいと思う人生を、子どもにも歩ませたいと思うので、余計なことを教えることは躊躇する。真実を探求する知恵の重要さを教える教育は大人にとって脅威になる。よって、今までの教育は子どもに知恵を授けることなく、大人にとって不都合のない知識を教えることになる。

翻って今の私たち大人の状況はどうであろうか。専門家という権威がいうこと、マスメディアが流す情報、政治家が打ち出す施策を丸ごと受け入れているのではないか。そこに批判的精神もなければ、「いや待てよ、何かがおかしいのでは?」という一呼吸がない。当然、今の子どもたちと同じような教育システムの中で生きてきたのでやむを得ない。

結局、子どもも大人もみな受け身で、それほど確かでもない知識を無抵抗に受け入れてしまう。逆説的に日本の教育システムあるいは世界の教育システムは大成功した。教育を提供する側の大勝利である。

このような背景に反対命題ということで、せめて自分の周りと対話できないものかという思いが本書の執筆の端緒となった。」

いずれにしても素人の仮説でしかないし、独り言といわれても仕方がない。そして最後は「見えない世界」へのいざないのようになった。でもコロナに右往左往しないで終息宣言するには、そこに行きつくのかもしれない。しばらく様子をみたいと思う。