スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

あちらの世界への助走期間

スーパーにある消毒液で念入りに手の消毒をしている高齢者がいた。手指の爪の間まで液体が届くように消毒している。また、屋外で人がすれ違うときも、極度に警戒して恐怖におののいているのも高齢者が多いように思われる。人は年齢を重ねれば死生観が確立して、ちょっとやそっとのことでは動じないものかと思っていたが、どうもそうでもないようである。人生の長さとその人の哲学の成熟度は比例しないといことかもしれない。

日本の医療現場における死生観というのもかなり脆弱なようである。一日も長く生き続けることが至上命題であり、患者の死は敗北のような考えがある。患者の家族も命の質よりも長さを求めるので、そのような発想になる。しかし、患者の死が敗北であるなら人は必ず死ぬのであるから医師は一生勝ち目のない戦いを強いられていることになる。それは不条理である。

患者からも家族からも、満足のいく医療の提供ができればそれで十分であるのに、命の長さに何かしらの価値があるのだろうか。延命治療なども本人にとっても不幸であるし、家族にとっても苦痛であるはずなのに、なぜか命の長さを基準に医療の評価もなされているように思える。数字で表せる客観的な指標だからだろうか。

人生80年時代が90年時代を目指すことになり、最近は100年時代ともいわれ、死がどんどん遠ざかっていく。第二次世界大戦後の日本は、人生50年時代といわれており、私などは寿命が尽きていてもおかしくない年齢である。そして、明治時代や大正時代は、30代後半から40代前半の寿命であった。さらに1603年から1868年まで続いた江戸時代は、30歳から40歳くらいだったようである。このような時代に比べれば約2倍の長さの人生を生きることになっているわけだが、この余分に伸びた人生はなんのためにあるのか。

たしかに、今自分の寿命が尽きると、私の3人子どもたちは困るので今は死ねない。結婚や出産が後ろにずれた分、人は長く生きることになったのだろうか。昔であれば、子どもを産んで育てたら、役目を終えてあの世にいっていたものが、今はどうもそのようなことではない。そうであれば、孫を育てるためかと思いきや、普通は子どもと別居しているので、孫など育てる想定ではない。この余計に頂いた人生は何のためにあるのか謎である。

もしかしたら生老病死とじっくり向き合い思索についやす時間なのではないだろうか。そして、より魂が進化した状態であの世に戻るための準備の期間なのかもしれない。しかし、現代の長寿社会では、時間を使うためのあらゆる商品・サービスが存在し、気を紛らわしてくれるので、ますます死が遠ざかるのである。そして、今回のコロナ禍によって決定的な課題を突き付けられた。まず生きることが目的になり、何のために生きているのかに焦点が定まらない。必死でマスクをして、入念に手を消毒し、自分だけは感染しないように防御を固める。「コロナだけにはなっちゃいけないね」と世間話しをしながら、おそらくは別の死因でこの世を去る人がほとんどなはずなのに。

アウシュビッツ強制収容所の体験記録を残した精神科医のV.E. フランクルは、『夜と霧』(みすず書房、1961年)の中で、ある興味深いエピソードを書き残している。強制収容所内で1944年のクリスマスには釈放されるという噂が人々の間で広まった。多くの人が強制収容所から解放されて死を免れるという希望を抱いた。しかし、まもなくクリスマスが到来しても、誰も釈放されることなく、その希望は絶望へと変わってしまう。そして、驚くべきことに、多くの人がバタバタと集団的に死亡するという事件が起きたのである。つまり失望することにより、多くの人の免疫機能が低下して、今まで人々の体内の中で発病することがなかったチフス菌が暴れだし、大量の死者を出したのである。

人生において、もはやなにも期待するものがないとわかると、人間は生きるためのエネルギーが枯渇して死に至るということだろうか。何か希望がある限り人間は意外にも生き続けられるということである。そうすると、江戸時代の人と比較して余計に40年の人生を与えられた私たちは、どのような希望が必要なのであろうか。

私は、あの世の存在に希望があると思える。現代科学は死を遠ざけ、あの世について前向きに研究しようとはしない。しかし、ある人がいったことに機知に富んだ興味深い指摘がある。「あの世は相当いいところのはずだ。なぜなら誰も戻ってきた者がいないのだから」。あの世の存在を真剣に考えて、わくわくするような世界を探求することで、多くの希望が湧いてくる。ある意味、余計に残された40年は、あの世への助走期間でしかないのかもしれない。そして、その残された時間は、あの世をもっと身近に感じ探求することで、すこしでもわかったことや仮説を次の世代にも伝えて、死の恐怖から解放してあげることなのではないだろうか。後から来る旅人のために、地ならしする役目と責任をわれわれは負っているのかもしれない。コロナ禍を題材に少なくても我が家では死をタブーにすることなく、自分の死も含めて大いに対話するようにしている。