スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

新しい生活様式「3つの楽」のすすめ

いつまでたっても明るいニュースがなく、毎日飽きもしないで「コロナ、コロナ」である。このような閉塞した社会に対して、どのような視点をもって対処したらよいのか。私の場合、3点あり、①直感を楽しむこと、②多様性を楽しむこと、③曖昧さを楽しむこと、以上である。これらは「3つの密」ならぬ「3つの楽」であるが、一見過酷な現状をうまく乗り切る重要な概念としている。

すなわち、科学も誤ることがあると認識し自分の直感も大切にすること。異なる意見や考えも大いに取り入れ多面的で多様な分析を尊重すること。そして、どうしてもわからないことは曖昧さにも耐え受け入れることである。

世の中の趨勢がおかしくなっていく中で、今の騒動に懐疑的な考えをもっている人が増えつつあると思う。そして、私自身の考察について「自分も同じように考えていたのだよね」という人が多いのではないかと思いはじめた。どうもみんな薄々気が付いているけれども、周りがそのような雰囲気ではないのでいい出せない、という人が多いのではないか。

最近、本屋で小林よしのりゴーマニズム宣言SPECIALコロナ論』(扶桑社、2020年)に接した。手に取って読むと笑いが出た。マスクをしていたので、ニヤニヤしている表情は誰も気づかなかったかもしれない。そして、他に買う予定であった書籍をやめて、『ゴーマニズム宣言SPECIALコロナ論2』(扶桑社、2020年)と一緒に2冊購入して読むことにした。

自宅で読みはじめて驚いたことがあった。それは、小林氏と考えがある部分で似ているところが多かったということである。このような書籍があることをネットで知っていたものの、マンガに縁がない自分にとっては購入する必要はないものと思っていた。しかし、本屋で目にした偶然から、書籍の内容も単なるマンガではなく、医学、歴史、哲学、政治、経済、法律など幅広く丹念に情報を調べて描かれていることが理解できた。

もしこの世の中にアカシックレコード、あるいは真実らしい情報が詰まっている異次元が存在するとするなら、おそらく同じ情報に接していたのかもしれない。ある直感を得てアクセスする次元に同じ情報があったという仮定も成り立ちうると思った。

そして、一つの希望が芽生えた。意外に多くの人が同じような直感を得ているのではないか。ただ、今は表現の自由を主張するのもさしさわりがあるので、みんな沈黙を守っているだけなのではないかということである。「隠れキリシタン」ならぬ、「隠れポジティブ派」とでもいおうか。もしそうであれば、どの程度のポジティブ派がいるのか興味深いところである。

おそらく、約1割弱がポジティブ派ではないかと思う。理由はニュースに対する世の中の反応からそのように考え得る。たとえば、自粛要請に従わないこと、マスクをしないこと、会食をやめないことなど、これらのニュースに対してほとんど批判的なコメントがあがっている。それ自体に注目すべき点はないが、批判的コメントに対して親指が上を向いている「いいね」の意思表示が9割以上で、親指が下を向く「同意しない」意思表示が1割以下であることに注目すると、ネガティブ派とポジティブ派の割合は想像できる。

そして、もしポジティブ派がある一定割合いれば、その人たちが声を上げるだけで世の中の流れは大きく変わるように思われる。その人たちが隠れているだけなので、顕在化するだけよいのである。私はそのタイミングが2021年の春ではないかと思った。日本企業も3月末決算のところが多い。このようなことを継続していられないとう思いが経済界にも蔓延するであろう。1割以下のポジティブ派が2割まで増えれば、まるで腸内の善玉菌の現象と同じように、社会のバランスが取れるのではないだろうか。

100年前のスペイン・インフルエンザの史実を詳細に記録した、速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店、2006年)によると、パンデミックが収束した要因はわからないという。医薬でもなければ、ワクチンでもなく、あるとき、まるで役目を終えたかのようにすっと消滅している。その後、関東大震災日中戦争、太平洋戦争のような大きな出来事のために、パンデミックがあったという人々の記憶さえも忘却の彼方へ消えてしまった。よって、コロナも役目を終えたと思ったときに消えるのではないだろうか。

自分は普段風邪を引いたときに3日断食をして治すようにしている。日ごろから朝抜き断食で一日二食の生活を送っているので3日間の断食は慣れている。本来は医師の指導を受けながら3日断食をしないと危険なようであるが、幸い私の場合は問題が起きたことはない。

今の世界の状況は、まるで健康を回復するために3日断食をしたが、まだ回復していないということで断食を継続し、いよいよ自分の命が危険な水準まできてしまった状況に似ている。ここで少しずつ食事を取って普通の生活に戻していかないと、ますます死に近づいていくことになる。しかし、人類もさすがに気が付き、再び食事をとりだすのではないか。

自分にとっての重要なポイントは、人生を楽しむということに尽きる。感染症に怯えて生きていてもおもしろくない。与えられた条件の中で楽しむということである。

自分の中で整理した概念を三つ再掲しておく。①直感を楽しむこと、②多様性を楽しむこと、③曖昧さを楽しむこと、以上である。これらは「3密」ならぬ「3楽」であるが、この三つのことを心がけていれば、意外にコロナ禍でも人生を楽しめるものである。

おそらく、今の状況を楽しんだ先には格段に進歩した世界があり、柔和な人生が待っているような予感がする。私の思い過ごしかもしれないが、もし賛同いただける方が実は大勢いたということであれば、それはそれでうれしいことである。