新型コロナによる死者数は水増しされている。S・バクティ=K・ライス『コロナパンデミックは、本当か?』(日曜社、2020年)によると、ドイツにおいてコロナの犠牲者の解剖を行った医師がいる。その結果、犠牲者の誰一人として健康な人がいなかったという。全員が一つの病気、あるいは複数の病気を患っていた。2人に1人が心臓疾患を抱えており、それ以外にも高血圧、動脈硬化、糖尿病、癌などの問題があった。
実は、ドイツ以外にスイスやイタリアでも同じことが報告されている。さらに興味深いことに、犠牲者の3人に1人は肺寒栓症に罹っていた。これはいわゆるエコノミークラス症候群として有名な病気であり、足の血流が悪くなり血栓が剥離し肺に流れ肺の血管を詰まらせる病気である。高齢で運動不足になる人に典型的に現れるが、高齢者が恐怖のあまり外出できないで肺寒栓症になり死亡しているのである。これは在宅勤務をすると自覚できるが、散歩を頻繁に入れないと血流が悪くなるのがわかる。日本は外出の自由が確保されているからいいが、それもできない国があることを考えると大変なことである。
興味深いことは、スウェーデンの著名な感染症学者は自国民にまったく正反対のことを推奨していることである。すなわち、新鮮な空気を吸って運動をすることと。しかし、多くの高齢者はマスクがウイルスを防いでくれていると信じている。ただし事実は全く逆で、特に肺疾患患者や心臓の弱い人には深刻なリスクを伴う。本来は日本でも「高齢者は外に出て新鮮な空気を吸おう」というスローガンでも掲げるべきなのである。
そして、ドイツでは信頼に足るコロナウイルスによる死亡者数のデータはないそうである。重大な間違いは、PCR検査で陽性反応を示した人をすべてコロナウイルスの犠牲者として公式に記録されてしまったということである。この記録の仕方は国際的なガイドラインに違反する方法であり、大きな誤りであるという。
「コロナウイリスによる死」の定義に大きな誤りがあるというがどういうことか。極論するなら、どんな病気でもよいが死亡時に陽性の結果が出ればコロナによる死亡になってしまうという。実際の事例で、ある終末期の食道癌の患者が息を引き取る前に検査を受けたら陽性で、息を引き取ったらコロナによる死亡とカウントされたという。検査の結果が判明したのは患者が息を引き取った後だというのに。
これではデータ取得に根本的な欠陥があることになるが、WHOによって定められたという。そして、PCR検査で陽性であれば臨床診断がどうであれCOVID-19として報告しなければならなかった。この定義は感染症学における基本的なルール違反で「感染」と「感染症」を区別しなければならないという。COVID-19は感染者の10%にしか発症しない病気の名称にもかかわらず不適切な定義のために症例が急増してしました。
それでは、日本ではどうなのだろうか。2020年6月14日読売新聞によると自治体によって差があるという。青森県は「医師は死因を老衰などと判断した。感染が直接の死因ではないが、県としては陽性者の死亡を『死者』として発表している」と説明している。このような恣意的な判断が入るコロナによる死亡者数であるが、厚生労働省は「新型コロナウイルス感染症の死亡者」を発表するときに、都道府県のホームページ上の公表数を積み上げたといい、この死者数をWHOに報告しているそうである。こんなことがあるのである。
なぜこんなことになるのか不思議である。PCR検査についても専門家の間では、ときに陽性者が陰性と出たり、陰性者が陽性と出たりする偶然の要素があるというのが一般的な理解である。なぜ、こんなものを信じるのであろうか。誤った陽性結果で隔離された場合は不当拘束である。声高にPCR検査の必要性を主張されていた学者は、何をしたかったのであろうか。政府の政策立案者は感染者数が増えるほうが都合がよいと思えばPCR検査を増やせばよいだけである。そして、陽性反応が出た人を全員病院に送り込めば医療は崩壊するであろう。
しかし、なぜインフルエンザと変わらない、ただの風邪ウイルスに人類は振り回されるのか。各国の政治家はこの機会に自分の方針の正当性や政策の力強さを示す良い機会として、各種数字を操作してでもコロナ禍を利用したいのだろう。目的がそれであれば、論理的な判断はできないので仕方がない。将来、真実が明らかになれば信用は失墜するというのに今がよければOKだ。
WHOはどうであろうか。この巨大な組織は資金の80%を外部資金に頼っており、その多くは製薬会社からの寄付だという。ワクチンという巨大なビジネス機会を提供するという視点でみればそれも納得できる。ワクチンの副作用で死者が出ても製薬会社への責任追及はあるだろうが、WHOの責任追及までには至らないであろう。
研究者はどうであろうか。マスメディアに洗脳された大衆に迎合するほうが得策である。予算を使って複雑な実験を繰り返して真実の証拠をつかむよりも、大衆受けするコメントや記事を書いているほうが低予算で喜ばれる。もうエンターテイナーになりきるほうがよい。
マスメディアはどうであろうか。視聴者のためではなくスポンサーのために過激な報道で視聴率を上げればスポンサーは喜ぶ。でも長期的に経済が冷え込めば、企業の広告宣伝費も枯渇するというのに。とにかく今がよければ将来のことは問わないとうことだろうか。
経済界はなぜ声をあげないのか。大企業は最終的に公的資金で救済されると思えば、余計なことをいって批判されるリスクは取らないのかもしれない。業績悪化してもコロナ禍という免罪符があれば、経営者の責任追及は難しいので静観しているのか。
このように考えると結局、社会的弱者が死の淵に追い込まれる。中小企業は資金繰りがつかないで倒産するところが増える。大企業の役員は自分の報酬を下げる前に、従業員の賃金カットを先行する。キャンセルや延期された手術のせいで、助かったはずの命を落とす人もでることになる。生活に行き詰まり自殺する人がおり、精神的にも脆弱な子どもの自殺も増える。食事もまともにできないで、先進国といわれる国でも餓死者が出る。子どもたちは社会的接触を止められ、大好きな友達とも遊べないし、おじいちゃん、おばあちゃんとも会えず、社会性を身につける機会を奪われる。家庭内暴力により、弱い立場の女性や子どもは命の危機にさらされる。カフェで世間話をするのが唯一の生きがいであった高齢者は、その生きがいを奪われる。
このような副次的被害を考えると、本当に今のコロナ対応が正しいのか疑問である。いずれ結論がでるのであろうが、多くの人はまともな思考を取り戻すことができない。政府や専門家、あるいはマスメディアは、毎日感染者数や死亡者数を報告するよりも、この副次的被害を分析し、もう一度政策の正しさを証拠に基づき検証するべきかもしれない。「今は経済よりも命が大切」というコメントがテレビから聞こえた。コロナ以外の要因で人は簡単に死んでしまうことを忘れているのであろう。