5月3日の憲法記念日に、岸田首相が憲法改正や緊急事態条項の新設についてメッセージを発し、それに対して反発の声が上がった。そもそもなぜ憲法改正や緊急事態条項が必要であるかの議論は十分なされているとは思われないが、そこに注意を払ってこなかった国民にも責任の一端はある。特に緊急事態条項については、昨今の中国の強権的なロックダウンの施策をみていると、その危険性について懸念を抱く人が多いようである。
まず他国との比較で、日本だけに緊急事態条項がないと主張するのは、西修氏である。「国家緊急事態条項の比較憲法的考察」日本法学82巻3号(2016年)では、103か国の憲法を調べ、すべての国の憲法に国家緊急事態条項が設定されていることが判明し、OECD加盟諸国の中で日本だけがその条項が存在していないと指摘する。ただ、他国がやっているから日本もということでは、その必要性についての説明にはならない。
また、百地章氏はコロナ禍によって現行法で対応できる部分と対応できない部分が明らかになったとし、検疫法や感染症法が感染者を検査や強制入院させることはできても、発症していない感染者は対象外であり、一時的な隔離すら強制できないという問題が露見したとする。百地章『増補改訂版 緊急事態条項Q&A』(明成社、2020年)でも、憲法に緊急事態条項が定められていなければ、いざという時に、国民の生命と安全が保障されない。特別法など法律で対処すればよいという主張に対しては、憲法違反を懸念して大胆な施策が打てないことがあるので、やはり憲法を改正すべきであるという。
一方、大林啓吾編『感染症と憲法』(青林書院、2021年)においては、緊急事態条項を設定するデメリットとして、①憲法改正は法律改正と比べてエネルギーと時間、そしてコストがかかる、②憲法的効力を一時停止したり行政に権力を集中させたりすると著しい権利侵害が行われ、回復困難な損害をもたらす可能性がある、③感染症以外の問題にも緊急事態条項が利用されて権利濫用のおそれがあることが指摘されている。私も特に②の弊害が懸念される。感染症に限らず、戦争でも自然災害においてもどの対策が望ましいのかは、そんなに簡単に判断できるものではない。
さらに大林氏は、国の代表たる内閣総理大臣が緊急事態宣言を出すときに、再選事情などの私益を考慮して判断する懸念を表明する。2001年9月1日の同時多発テロを戦争と捉えて、テロとの戦いに挑んだジョージ・W・ブッシュの支持率はテロ後に9割近くまで上昇した。今回のパンデミックでも台湾、ニュージーランド、イタリア、フランス、ドイツなど積極的な対策をとった国のリーダーが一時的に支持率を上げている。一方、アメリカのトランプ大統領の支持率は40%台であり、緊急事態宣言を出すのが遅れた安部政権の支持率も下がった。
しかし、各国の強制的なロックダウンなどの対策が本当に効果があったのか、その後、正式に検証されることもない。いまだに違和感を感じるのは、たとえば、北海道の鈴木直道知事がいち早く小中高の学校を臨時休校としたが、それが正しい判断であったのか誰も検証していないことである。素早い判断で賞賛されるのかもしれないが、その判断が正しかったのであろうか。
R. F. Savaris et al., Stay‑at‑home policy is a case of exception fallacy: an internet‑based ecological study, Nature, scientific reports (2021) によると、世界87地域を調査した結果、外出せずに自宅に留まることが、死亡率を低下させるということがほとんどなかったとする。
Stay-at-home policy is a case of exception fallacy: an internet-based ecological study (nature.com)
世界的にも多くの学術論文で、ロックダウンの効果は限定的であった、あるいはほとんど無意味であったことや、PCRテストの欠陥およびワクチンの効果や副作用に関するネガティブな情報が発表されていても、各国の政権は都合な悪い情報は無視を決め込むことになる。このように考えると、緊急事態条項を新設し、内閣総理大臣に強力な権限を与えるよりも、特措法や感染症法などの特別法で対応しつつ、憲法による牽制も効かせながらバランスを取るほうが望ましいのではないだろうか。
緊急事態条項により、時の権力者に全権委任してしまえば、その時の判断が間違っていれば取り返しがつかないことになる。西氏も百地氏も、緊急事態を判断するリーダーが大きな過ちを犯したり、私的な利益を追求する可能性は前提として考えていないと思われる。いずれにしても、もっと憲法学者も含めた各分野の専門家が意見を表明して、議論を尽くしてもらう必要があるテーマであろう。十分な議論がなく先走ると、また取り返しのつかない過ちを犯すことになる。