スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

PCR検査の精度の低さと専門家の躊躇

コロナ感染者数が増えているというニュースが盛んに流れる。でも毎年のインフルエンザも同じ波を示すのではないか。冬は乾燥し感染しやすいだけではないか。想定内と考えれば何も問題は起きない。人口動態統計によると2018年のインフルエンザ死亡者数は3,325名である。2020年12月18日時点の厚生労働省の集計による新型コロナウイルス死亡者数は2,783名である。そのほとんどは何らかの疾患を抱えていた高齢者であろう。

そして、問題になるのは感染者数である。PCR検査の陽性者=感染者として報道されているが、PCR検査の精度は高くない。またPCR検査でわからないことに、ウイルスがいたとしても活性があるのかどうかわからないことがある。そして、ウイルスがいたとしても細胞に感染しているかどうかわからない。あるいは、ウイルスがいたとしても発症しているかどうかわからない。普通の風邪でも同じであるが、人間の体内に風邪ウイルスくらいいて当然で、免疫力があれば発症しないで終わるのである。医学の専門知識はない素人でも、今まで生きてきた経験で十分わかることである。

西村秀一『新型コロナを「正しく恐れる」』(藤原書店、2020年)によると、今まで日本で医療崩壊を回避できてきたのは、PCR検査の対象を絞り込んで検査数を減らしたためであるという。軽症の患者が際限なく病院に行くことをとどめることができたのは幸運であった。不安に駆られた人たちが好き放題にPCR検査を受けることができていたら、検査のための人的・物的資源が乏しかった検査体制が崩壊していたはずである。軽症者や陽性陰性ギリギリの偽陽性者を山のように病院に送り込めば確実に破綻していた。本当にラッキーだったといえる。

しかし、残念ながら冬が到来し、いつもの感染者数増加の報道にあおられて、検査を受ける人も増えている。本来であれば、普通に病院に行って「風邪ですね。お薬出しておきましょう」といわれて家に帰り安静にして済んでいたものが、心配だからPCR検査を受けてみようということになれば、それは感染者数が増える。別に感染者数=患者数ではないのだけれど、ニュースをみれば大変なことになっていると普通の人は思う。

PCRは検査時の検体中での遺伝子の存在を示すだけであり、生きているウイルスがどれだけあるかということは、この検査ではわからない。たとえば、不活化して空中を浮遊しているウイルスが、たまたま吸われて鼻腔に張り付いていたものを検出すれば陽性と判定されてしまう。考えてみれば乾燥した冬に陽性判定が増えて当然である。

さらに「低価格のPCR検査センター相次ぎオープン 申し込み殺到も」というニュースもあり、民間の検査がビジネスとして大盛況のようである。これらの民間業者にしてみれば、毎回、PCR検査を連呼していた学者のおかげで新規事業を創造できたわけであり、足を向けて寝られないであろう。

しかし、なぜ専門家はPCR検査の精度は信頼できるレベルではないことをきちんと説明しないのであろうか。一人がPCR検査で陽性になっただけで、その周囲で接触者はみな二週間自宅待機では社会が立ち行かない。誰が考えても明らかであろう。世界中の人々がまともな感覚を取り戻せないでいる。

専門家も専門家であるがゆえの弱点があるのだと思う。結局、自分の専門分野のすぐ隣のことすらよくわかないことはよくあることである。しかし、人間の良心に従えばどうもおかしいと思うのだが、自分の専門から少し外れると理論的に説明する自信が100%ない。あるいは、自分は専門家ではあるが自分が見落としている情報や論文があるかもしれない。そうすると他の専門家から突っ込まれるので黙っておこう、というような心理が働くこともあるであろう。「同調圧力」という言葉があるが、それよりも専門家としてのプライドがリスクのある発言を思いとどまらせているかもしれない。逆の言い方をすると、そのような慎重さのない、いい加減な専門家が情報発信を継続しているともいえる。ナチス・ドイツの宣伝大臣だったヨーゼフ・ゲッベルスの有名なセリフで「嘘も百回言えば真実となる」という言葉があるが、それと同じで圧倒的な成果を収めたことになる。

西村秀一氏はいう。しっかりした戦略を決めていかないと、社会全体がめちゃくちゃになりかねない。おそらく一部の人は犠牲になる。それは自分かもしれないし、自分の家族かもしれない。でも残念ながらゼロはあり得ない。犠牲になった人の遺族や関係者は当然、ちゃんとしてくれていたらこんなことにはならなかったと非難する。一人でも犠牲者が出たら政策決定者は「人でなし」といわれる。その気持ちは理解できるが、社会全体の幸せはそうはいかない。どこかで心を鬼にして「ここで線を引く」という考えが必要だと。

しかし、心を鬼にしなくても、合理的に考えれば今の状況は腑に落ちない。あの冷静なドイツのメルケル首相も、感情を爆発させ拳を振り上げて「今年が祖父母との最後のクリスマスになったとしたら、我々は重大な間違いを犯すことになるでしょう。そうした事態は絶対に避けなくてはなりません」と叫んだ。しかし、コロナだろうがコロナでなかろうが、祖父母との最後のクリスマスになる可能性は誰にでもある。人間は未来永劫生き続けることはないのだから。あのような非理性的な演説をさせた力はなんなのだろうか。世界の人が一度立ち止まって冷静に考えるときのようである。そして、自分の良心に従って発信するときだと思う。利害打算ではなく。