高校時代の世界史の教科書を本棚にみつけた。村川堅太郎ほか『詳説世界史(改訂版)』(山川出版社、1985年)である。13世紀当時、地球は丸いということを信じる人は少なかったようであるが、ジェノヴァの船乗りコロンブスは、アフリカまわりよりも西方へ直行するほうが、はやく東アジアに着くと信じ、1492年にスペイン女王の援助を得て航海に出ている。そして、70日間の航海の後にサン=サルバドス島に到達している。コロンブスは死ぬまでその土地をインドだと信じていたとのこと。
その後、多くの探検家によって航海が試みられて、結局ヨーロッパ人が知らなかった別の大陸であることがわかり、フィレンツェの人であるアメリゴ=ヴェスプッチによってその土地の事情が詳しく紹介されたので、アメリカと呼ばれるようになった。
しかし、アメリカ大陸発見はヨーロッパ中心主義の視点からの不適切な表現であり、すでに先住民が住んでいたのであるから、先住民にしてみると新大陸発見ではないことになる。結局、日本における世界史の教科書もヨーロッパの知識から体系化されているので、どうしてもヨーロッパ人の視点の記述になってしまう。子どものころテレビで観たマンガや映画でもインディアンは野蛮な民族のように描かれ、正義の味方がインディアンを倒すというストーリーが多かったが、これもヨーロッパ中心主義の現れであろう。
しかし、歴史を紐解けば、先住民を強制移住させたり、同化政策がとられたりしており、先住民に対するヨーロッパ人の蛮行は目に余るものがある。そして、その美しい伝統と文化は完全に破壊されてしまった。その後、保護政策がとられて伝統と文化を取り戻そうという動きもあるが、そう簡単ではない。アメリカ国内の保留地においては無税という政策もとられ、経済的な支援も行われているが、先住民の貧困は深刻である。
日本をみてもアイヌに対する政策は同じであった。中川裕『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(集英社新書、2019年)によると、江戸時代は松前藩や幕府によってアイヌの伝統文化は尊重されていたが、明治維新以降、日本政府の同化政策によってアイヌ文化は徹底的に破壊されてしまった。
ヨーロッパから多くを学んだはずの明治政府の政策が、なぜこのように野蛮であったのかは興味深い。アイヌ文化にしてもアメリカの先住民の文化にしても、人間は自然の一部として調和して生きる哲学がある。一方、ヨーロッパの哲学は、どちらかというと自然と対峙して強い一人の人間としての思想が全面に出る傾向があるように思う。このような哲学が人々の思考や他者に対する行動に影響を与えるのであろうか。共生という哲学が最近注目されているが、そういう意味では先住民の哲学のほうが最先端をいっていることになる。
残念ながらアイヌ語を話す人もわずかしか残っておらず、次の世代への継承が危機的な状況のようである。そして、筆者は札幌出身の道産子であるにもかかわらず、アイヌ文化への理解が欠けていたことを後悔したことがある。和人(日本人)としての視点しか持ち合わせていなかったために、北海道庁にあるアイヌの歴史に関する展示や白老町にあるアイヌ民族博物館の資料をみたときに、その奥深さに触れ、自分の認識不足を思い知ったのである。もっと興味を持って学んでおくべきであった。
どうも、自分を含めて多くの日本人はヨーロッパからの知識や教養、あるいは最近であればアメリカからの経済や経営、法律を妄信しすぎではないだろうか。常識と思っているものを少し疑う姿勢を持ってもよいように思った。今一度、レビィ=ストロース『悲しき熱帯(上)(下)』(中央公論社、1977年)を読み直し、彼の言葉を味わってみるのもよいかもしれない。ヨーロッパ人によるヨーロッパ文明批判の中に、何か答えがあるのかもしれない。