スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

「科学」よりも「直感」に頼ることも

少しずつ新型コロナウイルスがアジア地域の人にとっては、極論するなら鼻かぜ程度ではないかということが主張されてきている。井上正康『本当はこわくない新型コロナウイルス』(方丈社、2020年)も、上久保氏らの免疫獲得説にフォローするように、日本は弱毒型ウイルスのS型、K型のおかげで強毒型のL型、G型が欧州から入っても免疫獲得済みだったとする。また、公開されている膨大な論文を渉猟し、日本やアジアの国々では、土着のコロナウイルスが住み着いているので免疫獲得しやすかったとい仮説を立てる。そして、国境封鎖やロックダウンと緩やかな自粛を実行している国の100万にあたりの死者数が図表のように示されている。これをみれば明らかに思われるが、少なくとも都市封鎖しようが国境封鎖しようが、各国が実行した施策と死者数の間に因果関係がなさそうである。また、各国の死者数と人口密度を勘案すると、「3密回避」「接触8割減」「自粛」の効果はないといってよいレベルの結果になる。たしかに、東京の人口密度や満員電車を考えるだけでも、この数字では効果があるとはいえないであろう。統計や科学に対する素養がない人間でも、この数字をみれば直感で、少なくともアジア地域の人にとって、新型コロナウイルス死に至る病というほど恐れる必要はないといえる。

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ただ、科学者はエビデンスエビデンスがとかいうのだろう。しかし、素朴にこの数字が明らかなエビデンスにならないのだろうか。一方で40万人死亡説や10万人死亡説は本当にエビデンスがあったのであろうか。その数字を見て恐れをなした日本政府が誤った意思決定をして、多くの人々を経済的困窮に陥れているとしたら、本当に無念を感じざるを得ない。一点のみ日本政府のなしたことで良かった点は、入国制限が遅れたことである。そのおかげで中国からS型およびK型のウイルスが国内に入り、日本にいる人々の免疫が形成された。もたもたして意思決定ができなかった腰の抜けた日本政府による対応が、意図せざる功績をもたらしたことになる。井上氏の仮説を補足して述べると、台湾は国境が閉まるという情報が漏れた時点で、多くの人が中国本土から台湾に戻り、免疫が形成されているという。オーストラリアも白人がマジョリティでありながら死者数は極端に少ないので、これもアジア太平洋地域ということで地理的要因があることが推察できる。

このように科学的な分析による検証を積み重ねるのも必要なものの、かなり早い段階から、過剰な反応に対して警告を発していた医師もいた。長尾和宏『歩くだけでウイルス感染に勝てる!』(山と渓谷社、2020年)は、タイトルこそ大げさであるが、4月の時点で長尾氏の「町医者としての勘」として次の指摘をしていた。新型コロナウイルス結核SARSと同じ2類感染症であり入院が必要であるが、インフルエンザと同じ5類感染症にして発生動向の把握・提供に変更すべきである。そして、PCR検査の限界を知り、医療崩壊が起こらないように5類感染症にしてから希望者全員に実施したらよい。また、抗体検査が普及したら疫学調査が進み、アッと驚くような大どんでん返しがあるかもしれない。そして、隔離は身体機能が低下、認知機能が悪化となり、結果的に免疫機能が低下し感染しやすくなるという。そして、発想としては、新型コロナはかかっても仕方がない、死ななければいいと考える。ウイルスは人類の大先輩なのだからうまく付き合うしか手がない。気の弱い人は、コロナ報道など観ないほうがよい。ウイルスは紫外線で不活化するので、とにかく昼間の時間帯に歩くことがベスト、ということである。本当に「町医者の勘」は正しいように思える。

このような直感を得るには日々訓練が必要なのだろう。ヒンドゥー教ではチャクラを開くという。神智学ではアカシックレコードを読むともいう。最近のスピリチャルな世界ではハイヤーセルフに聞くともいわれるようになっている。いずれにしても理論全開で自分の頭だけに頼るよりも、直感に従うほうが正しいことがあったり、楽なこともあったりするのかもしれない。いわゆる五感以上の第六感を信頼する生き方がこれからの時代に沿っていると思われる。