スペシャリストの生き方

自分だけの生態学的ニッチで生きる

権威に寄り添うだけでは見えない事実

上久保靖彦氏らによる新型コロナウイルスの論文が、2020年5月3日に第1バージョンとして発表され、6月23日に第2バージョンが出されている。Yasuhiko Kamikubo, Toshio Hattori, and Atsushi Takahashi, Paradoxical dynamics of SRS-Co V-2 by herd immunity and antibody-dependent enhancement は、インターネットでも入手できる。また、新書で一般向けに、上久保靖彦=小川榮太郎新型コロナウイルス』(ワック、2020年)も出版されている。まったく当該分野に専門性はないが筆者なりに要約すると、2020年1月までにウイルスのS型とK型が日本に入り、日本人は武漢で発生したG型に対する免疫を獲得していたという。また、台湾は入国制限の前に中国本土から人が戻り、うまく免疫が形成された。それでは、なぜ欧米で被害が広がったのかというと、K型が入る前に入国制限したために、G型に対する免疫が形成されなかったということ。今後の免疫形成を考えると不自然な入国制限は人類の免疫システムを狂わせるので、一日も早く正常化すべきとなる。症状が発症するかしないかは、オーストラリアの死者数の少なさからも明らかで人種に関係なく、ただ免疫を獲得したかどうかの違いである。よって、上久保氏らの説は、症状が重症化しない日本ではほとんどの人が無症状でやり過ごせる、という集団免疫獲得説になる。結果的に入国制限が遅れた日本政府の対応が良かったわけであるが、非常に論理的で今の日本の状況をうまく説明できている。

ここで問題にしたいのは、なぜこの論文がほぼ無視されているのかということである。本来であればこの論文を参照して反論する、あるいはさらに論理を発展させるなど、他の研究者の論文が出てきてもおかしくないのではないか。それがあまり取り上げられていない。不思議であるが、実は権威のある多数説の学者が自分の過ち、あるいは見込み違いを訂正できなくなっているのではないか。何も対策をしなければ40万人死ぬ、あと2週間で医療崩壊、そして、ノーベル賞学者による10万人死亡説。このような説を唱えた多数説が、少数説を受け入れられなくなっているのではないだろうか。なぜこんなことが起こるのだろう。まだ、死者数は1000人台だというのに。

まず権威というものは人の思考を固定化してしまう。柔軟性が欠落し、少数説の中に真実があるかもしれない、という可能性を探求することがなくなってしまうのではないか。学術論文を書くときに、権威ある学者や権威ある大学の教授の書いた論文を引用することで、自説が補強されたような気になるが、実は同じ説を主張していた無名の研究者の論文のほうがより優れていることはいくらでもある。自分の専門分野でも、学会で著名な学者の論文でまったく意味が理解できない、主たるメッセージが何かわからない論文はある。自分の専門分野でもあるので、理解できないと自分の自信も失う。それでも多くの人は、あの人はすごいという印象を持つ。権威に寄り掛かるのは楽なのかもしれない。筆者は権威とは無縁なので、良いと思う文献や論文があれば、どなたであろうとも引用させていただく。むしろそのほうが隠れていたダイヤモンドを見つけたような気分でワクワクするからである。

結局、ノーベル賞受賞者も「神」ではなく「人間」なのである。過ちはあるし失敗はある。しかし、それを自分で認めることができなくなっているのかもしれない。それこそ今は死者数が増加してくれ、とでも祈っているかもしれない。どんなに偉大な業績を残しても、どんなに立派な理論を構築しても、つねに自分は間違っているかもしれない、と思いつつ自説を主張する姿勢が重要なのではないか。あるいは、本当に上久保氏らの論文に誤りや誤解があるのであれば、しっかりと論理的に反論をするべきである。しかし、一切取り上げる気配もない。多数説の学者は一般国民にバランスの取れた判断をしてもらうためにも、このような集団免疫獲得説があることを社会に伝えるべきであると思う。今はあまりにも稚拙な情報操作が行われている気がして残念でならない。