近年、働き方改革などと言われ、日本の雇用形態も大きく変わろうとしている。今までは、長期的雇用契約とそれに付随した企業内訓練、社内競争を経た昇進による勤労意欲の増進など、「ゆりかごから墓場まで」的な労働環境が整えられていた。しかし、尾高煌之助「「日本的」労使関係」岡崎哲二=奥野正寛『現代日本経済システムの源流』(日本経済新聞社、1993年)は次のように過去の労働市場を異なるものとして回想する。つまり、明治時代まで遡ると、全く別の世界があったのだ。たとえば、当時の機械職人は熟練工が売手市場の立場を謳歌し、日本全国を飛び回っていたというのである。その後、大正末期から昭和初期において、大企業ができるだけ子飼いの従業員を長期継続的に雇用しようとした。その理由としては、当時盛んになってきた労働運動を抑えるためにより良い条件を提示し、安定した職場を提供し労働者の定着率を高めようと模索したためだとされる。その結果、人の移動も減少し簡単には外から人材を採用しノウハウを取入れることができなくなった。そして、それを補うように企業の社内人材教育による投資も増え、労働者は生涯一つの企業に働くように労働力が固定化されていったという。また、労働運動の高揚は政府にも衝撃を与え、労使の協調が政策課題になった。
そして、今は労働運動の代わりに、人口減少、人材の多様性、生産性悪化につながる長時間労働の解消などに対応するため、働き方改革にたどり着き、一つの重要な課題となっているわけである。興味深いことに現代社会においても、明治時代の職人のように組織を超えて活躍しだす人材も増え、また、自らの生活様式に合わせた働き方を選ぶ人も増えてきている。このような環境において、企業は一パターンの雇用契約書では運用しきれない時代になったといえる。よって、今後、わが国でも人口減や人材の多様化により上司と部下の関係が変容し、よりマトリックス型の組織に変化していくであろうし、労働市場の流動性も高まることであろう。当然、雇用契約の形態もより多様になり、より複雑なものになっていくと思われる。とにかく、今までの職場環境は一変し、人間関係もより網の目型になり、タテの関係、ヨコの関係のみでは説明しきれない組織の状況が当たり前になってくる。当然、企業や労働者の中には、その変化に対応しきれないものも出てくるであろう。そして、職場の関係も不確実性を増すことになり、日本国内においても従来の規範では対応しきれない事象が出現し、ハラスメントや不当解雇、雇用差別などの労働訴訟も増えていくと思われる。
しかし、このようなことに巻き込まれている暇はない。また、会社が破綻するときや合併するときは、従業員に事前に伝えてから破綻や合併することなどあり得ない。そのような丁寧なプロセスを経ることはない。ある日、突然、物事は起きるのである。そんなとき、われわれは明治期の職人に逆戻りすることが必要なのだと思う。会社に人生を握られるのでではなく自分で働く環境を選べる状態、他律ではなく自律できる状態である。もちろん、大きな仕事をするときは、引き続き他の優秀な人材と協働し知のレバレッジを効かせる必要があるのは今と変わりないが、それが大企業という同じ組織内だけではなく、外の人材との協働が増えることがこれからの特徴でもあるだろう。