スペシャリストの生き方

自分だけの生態学的ニッチで生きる

ローマ時代と人工知能時代の比較

増田四郎氏の『ヨーロッパとは何か』(岩波新書、1967年)によると、ローマ帝国の時代に帝国領内にゲルマン人が入ってきたとき、多くのローマ人貴族たちは、ゲルマン人の少ない田舎へ逃げていく傾向があったという。しかし、能力のある人は転換期に対応するのに非常に苦しみ、いろいろな処世術を考えていく。つまり逃げるのではなく積極的に生き方を工夫した。

たとえば、侵入してきたゲルマン部族の王室に仕えてゲルマン部族国家の役人になるものがいた。当時ゲルマン人ラテン語や法律の知識をもっていなかったので、ローマ人の活躍の場があったそうである。ゲルマン人の侵入によって社会が変わろうとしていたが、ローマの裁判官やローマの徴税吏、ローマの税関吏といった仕事は新しい社会でもそのまま残されたのである。また、法律の知識やラテン的教養をもとに部族王国の外交官に登用されるローマ人もいたそうだ。とくに高度に洗練された外交技術が要求される外交文書の作成にも、すぐれたローマ文人の登用が必要であった。

このような現象を今の時代に照らし合わせると、人工知能がわれわれの領内に侵入してきていると言い換えてもよいのではないだろうか。人工知能の存在がわれわれの職を脅かしている時代に、人工知能ができない仕事をする必要がある。そして、奈良潤氏の『人工知能を超える人間の強みとは』(技術評論社、2017年)によると、人工知能が得意とするのは規則性がある現象を予測し、パターン化された大量の知的作業を迅速にこなすことだという。ところが、カオス(無秩序)な現象が発生すると正確な判断や予想ができなくなる。そして、1台のコンピューターができるシミュレーション能力は、人間の脳神経細胞の1個分しかないといわれる。人間の脳は1,000億個以上の神経細胞で構成されているので、脳と同じシミュレーション能力を発揮するには、コンピューターがなんと1,000億台を相互に連結させる必要があるそうである。さらに、人間の直観と感覚がともなう知識や技能に「暗黙知」や「身体知」というものがあり、ひと言で説明すると「コツ」のようなもので、このようなことを人工知能が学習して把握するのは難しいといわれる。また、松尾豊氏も『人工知能は人間を超えるか‐ディープラーニングの先にあるもの』(角川EPUB選書、2015年)でシンギラリティ(人工知能が自分の能力を超える人工知能を自ら生み出せるようになる時点)はあり得ないと断言する。いまだかつて人類が新たな生命をつくったことがあるだろうか、という問いに対して、仮に生命をつくることができたとしても、それが人類より優れた知能を持っている必然性はなく、同じことが人工知能にもいえるということである。よって、人工知能に対する恐れには適切に対処することで克服できることになる。