職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

社会人大学院に関する共著の執筆者を募集!

今年は専門実務書の共著を出します。編集していると執筆者の個性が強い場合、形式、文体、締め切り期限などすべてがバラバラで難しいです。

出版社の編集部が執筆要領を渡してくれているにもかかわらず、それに準拠していないこともあり、人というものは、自分の見えている世界しか見えないんだ、という当たり前のことをあらためて感じています。よほどバッサリと編集できる人でなければ、とりまとめ役にはならない方がいいと今さら思いました。それでも、勉強にはなるので、軽やかに楽しく進めていこうと思いますが。

また今年、もう一冊の共著である一般書も出版いたします。昨年は単著2冊で、今年は共著2冊ということになります。人生100年時代の学び直しがテーマで、次のような内容が共著者から出てきております。

1)リカレント教育の場としての大学院
2)実効性のある社会人財政支援制度の提言
3)地方国立大学の大学院で学ぶ意義と課題
4)シングルマザー専門職大学院の体験記
5)技術経営(MOT)が広げた将来の可能性

一見、バラバラなようですが、それぞれの個性が出るように編集できたら良いと思っています。

自分自身、日頃から学校や企業は生徒や労働者の個性を揃えたがり、画一的な統制を望むということに対して批判的な考えをもっていますが、いざ自分がまとめ役になると、個性を揃えたくなります。やはり編集あるいは管理が楽だからですね。一定の幅を持たせながら、バランスを取ろうと反省しています。

また、現在も共著者を募集中です。今年が終われば、来年も再来年も同じ企画を継続します。筆力に自信のある方はご検討いただければ幸いです。

出版企画はこちら。

community.camp-fire.jp

国公立大学教員も参加するゆるいコミュニティ

昨年からスタートした、社会人大学院の研究会(コミュニティ)ですが、予想外にも地方国公立大学の教員の方も現時点で2名参加いただくことになりました。メンバーは、リンクの窓口以外からの参加者も含めて30名を超えています。当初、民間企業に勤務し、自分のキャリアを考えて社会人大学院を検討する人たちを想定していましたが、どうもそれだけではないようです。

働きながら社会人大学院で学ぶ研究会 CAMPFIREコミュニティ

これはやってみなければわからないことでしたが、実は教育を受ける側に限らず、提供する側にもかなりの課題を抱えて悩んでいる方がいるということになります。

私自身は、特に課題や悩みがあったわけではなく、とにかく人生の選択肢を増やすことで、各人が「自由」を手に入れることができればそれで良いと思ってはじめました。一方で、研究会に参加してくださった新しいメンバーの方々のバックグランドの多様性には、とても興味深く感じています。自分も視野が広がってくるし、知らない世界のことについて相談できる相手も増えたということで、すでに、コミュニティをつくって正解だったといえます。

2024年は、まず最初の共著を出版いたします。出版企画などの詳細は、最初に貼ってあるリンクの「アクティビティ」に掲載しています。仮題『社会人大学院で学ぶ1 - 研究の扉としての修士課程』とでもしておきましょう。そして、2025年には第2弾、2026年には第3弾、ということで展開していきます。一冊目の編著者は自分でやりますが、それ以降は別の方に担っていただき、バトンリレーのように継続していこうと思います。

無理に組織化することはしません。できる人がやる、というくらいの、ゆるくて軽いコミュニティです。組織化すると主導権争いや、派閥争いが生じたりして腐敗することもあること。また、いつでも中止や保留にできる体制にしておく方が、参加者も気楽に貢献できるということで、軽やかなコミュニティにします。

これからの時代は、ゆるやかな横につながるコミュニティというのが各人の個性が活きて良いと思います。もちろん、組織化されたコミュニティも良いと思いますが、企業でも大学でも、どうも時代の変化に対応できていところが多いことをみると、どうも時代が変わっているように感じます。せっかく、世間で追い風が吹いても、それに乗ることができない。コロナ禍でさえ、追い風にできたのに、逆風となって、後退してしまったところが多い。そう考えると、明らかに時代は変わりました。風のように軽やかに生きていく方が、成功が向こうからやって来るような時代の流れになっていると思います。

「人はなぜ陰謀論にハマるのか」という常套句

久々にグレゴリー・サリバンさんのZoom会に参加しました。彼との出会いは、2021年の秋に、彼が運営する日本地球外生命体センター(以下「JCETI」)のセッションでお会いしたのが最初です。その後、自宅にも遊びに来ていただいたり、自分が博士論文の打ち合わせで神戸に滞在している同じタイミングで、偶然にも彼が神戸でイベントをしていたので、お会いしたりと不思議なご縁のある方です。グレゴリーさんのことは、グレッグさんと呼んでいますが、初対面の時から、以前どこかで会ったことがあるようなデジャヴュ(既視感)を感じていました。

JCETIとは名前のとおり、地球外生命体とコンタクトを試みている団体で、普通に考えれば胡散臭い組織といえるかもしれません。しかし、地球外生命体は存在しないという確証はないわけで、完全に否定することもできません。現代科学で説明できないことは、世の中にいくらでもあるので、私は「絶対」という言葉を「人は絶対に死ぬ」という時にしか使えないという姿勢をとるようにしています。よって、グレックさんの活動に対しても肯定的です。千年後あるいは二千年後の科学で証明することは可能かもしれませんし。

一方で、自分が知識人だと自覚している人たちが、現代科学で証明できないことに対して、「陰謀論」でかたずけようとする場面に遭遇します。本当にパターン化された論法で、人々を貶め、「陰謀論」より先に進むことがありません。つまり探究心がないということなので、実は恥ずべきことであるにもかかわらず、本人たちは気づきません。当然、自分はあらゆることを知り尽くしているという前提がそこにあるので、自分が見えていない世界が存在するかもしれないという仮説がないことになります。

最近では、Qアノン、新型コロナ人口削減説、爬虫類人ケムトレイルなど、古くはコックリさん、UFO、ケネディ大統領暗殺などありますが、これらに対して、「人はなぜ陰謀論にハマるのか」ということで嘲笑の対象とし、それ以上の探求あるいは議論を封じます。おもしろいように同じ手法です。もちろん、すべてが真実ということではないかもしれませんが、あらゆるテーマに対して心を開いておくことは大切だと思います。

そして、グレッグさんは『ホログラム・マインドⅡ 宇宙人として生きる』(キラジェンヌ、2021年)という著作の中で、陰謀論について興味深い見解を披露しています。CIAなどの諜報機関陰謀論という概念を作り、彼らが発信する情報の中に、真実と嘘を織り交ぜているので、本当のことを見破るのが難しいと。そして、少なくともQアノンなどは諜報機関の宣伝塔として利用されているので、大いに警戒が必要ということです。

そして、私たちが洗脳あるいはマインドコントロールから自由でいられるために、次のような情報には近寄らないことを示唆します。

① 唐突に登場し、目を引き話題となる
② 不正な情報をどんどん展開し、人々を巻き込む力が増幅する
③ 無責任な行動を極め、ダメージを片付けることなく消える

また、音楽や漫画、映画、ファッションなどを通して、ネガティブな情報が刷り込まれていることにも注意を喚起します。最近では、期限を区切って何か危機が起きるという情報にも、人々を追い込むための偽情報が含まれているのでまどわされないよう助言します。何事もなく期限が過ぎると、結局、ゴールポストを移動させ(move the goalposts)、次の商売ネタを作り出す輩もいるということです。

陰謀論」というのは便利な言葉で、あらゆる仮説は取るに足りない虚偽ということで片付けることができます。そして、それは人々を思考停止に追い込む便利な用語でもあります。陰謀論と決めつける人たちは、どれだけそれらの情報を分析しているでしょうか。私であれば先ほど述べた陰謀論をすべて検証するには、膨大な時間と労力が必要なので、自分にはできません。ということで、せめて判断を保留にします。

グレッグさんの著作も、普通に考えると理解は困難です。あらゆる人にお勧めできるということではないでしょうが、陰謀論を少しでも理解したい人には、「人はなぜ陰謀論にハマるのか」という定型文を使用する著作よりも気づきは多いと思います。

小さく絞り込みフィールドを自分で作る

高校生や大学生向けに書かれたと思われる、稲垣栄洋『はずれ者が進化をつくる』(ちくまプリマー新書、2020年)からヒントを得ました。普通は、ナンバーワンにならなくてもいいから、オンリーワンをめざそうといいますが、実はオンリーワンを達成していれば、自動的にナンバーワンにもなっているということです。

これはビジネスの世界にも通用することで大人も一緒です。自分の「強み」あるいは「個性」を活かすことで、その実現が容易になります。

生物学を研究している稲垣氏によると、生物の世界は厳しく、人間社会とは比較にならない激しい競争が繰り広げられ、ナンバーワンしか生き残れないそうです。ただ、食物連鎖の頂点にいる動物は、その下にいる動植物に「依存」しているので、下の動植物が減ると生存が危うくなる脆さがあります。よって、結局は最強のナンバーワンと思われる動物もか弱い部分を持ち合わせていることになります。

そして、ナンバーワンしか生き残れない自然界においても、地球上の生物すべてがナンバーワンになる方法があるといいます。それがオンリーワンのポジションをみつけることになります。この表現は、ビジネスの世界でも使いますが、生態学では「ニッチ」といいます。

人間社会も同じで、縄文時代を想起しても、力の強い人は獲物を狩りに行き、泳ぐのが得意な人は魚を獲ります。手先の器用な人は道具を作り、調理の得意な人は食事を作るなど、それぞれ得意な人が、得意なことをすることで成り立っていました。助け合う中で自然にニッチをみつけていたのでしょう。

そして、現代社会でもニッチを探すことで、ナンバーワンになれるコツが二つあります。

①小さく絞り込む
②フィールドを自分で作る

以上です。自分の強み、あるいは個性をみつめ続け、どの分野が良いのか絞り込み、誰も手をつけてない分野でフィールドを作ってしまう。自分の個性が何かわからない人も多いので、当たりをつけて、その周辺で小さなチャレンジと失敗を続けていれば、必ず自分だけのニッチがみつかるものです。

私の場合、せっかく授与された博士(法学)の学位を活かして、大学で非常勤講師でも探そうかと思いました。想定される講座は「保険法」「会社法」「商法総則・商行為法」などです。ただ、どれも既存の伝統的な学問で体系的に確立されています。

そこで、自分が金融サービス業に勤めているから「金融法」という新しい分野もいいかと思いました。しかし、この分野もファイナンス分野で活躍している弁護士や銀行出身者のフィールドで、自分の個性や強みが活きるか疑問に思いました。まったく土地勘がないわけではないので、少し勉強すれば専門家になれるかもしれませんが、やはり前述の①②からすると避けるべき分野かもしれません。

そうなると「賠償責任保険法」なるフィールドを自分で作って、勝手に売り込めばいいのかもしれません。イギリスなどでは基本書も出版されていますが、日本ではまだです。教科書も自分で執筆して売り込めば、非常勤で雇ってくれる大学があるかもしれませんね。稲垣氏の書籍から得られた示唆は、「小さく絞り込み、フィールドを自分で作る」という原則から離れないで、という教訓でした。

健康診断の義務は国民のためではない

会社の健康診断結果票が戻ってきました。会社では、35歳上の従業員には人間ドックを推奨していますが、私が受けるのは35歳未満の人と一緒の健康診断です。人間ドックは15年以上受けていません。白髪交じりのおじさんが、なぜ若者と一緒に一般の健康診断を受けているのかは、逆説的ですが「病人」にならないためです。

そして、今年も昨年に引き続き「LDL高値」ということで、再受診を促され「医師の指示に従ってください」との総合所見が記載されていました。2年連続のE判定ですが、数値は216で、基準範囲は139以下ということです。産業医がしつこくフォローしてくるので、再受診はすると思いますが、薬を飲むことはなく、特に対処もしない予定です。

コレステロール中性脂肪で薬は飲むな』(祥伝社新書、2008年)や『高血圧のほとんどは薬はいらない!』(角川SSC新書、2014年)の著書で有名な東海大学名誉教授の大櫛陽一氏によると、人間ドックは日本特有のもので、海外では行われていないそうです。そして、人間ドックでは、何かしら体の異常を指摘されることが多いわけですが、それにはカラクリがあるといいます。実は多くの人が異常と診断される仕組みになっているのです。

すなわち、健常な人の各検査項目の値は、左右対称の正規分布になり、その中央から95%を占める部分を正常としています。残りの上位と下位のそれぞれ2.5%の合計5%が異常とされることになります(下図参照)。よって、検査項目の多い人間ドックでは、誰もが結果的に項目のどれかで異常とされる確率が高まるわけです。

 

出所:中恵一「精度管理の考え方」株式会社エーアンドティ

この点、人間ドックが「病人」をつくり出している可能性に十分留意する必要があります。本来であれば薬が不要な人が薬を処方されたり、不必要な食事制限を強いられたり、余計な治療をさせられている可能性があるということです。

労働安全衛生法66条1項では、「事業者は、労働者に対し、厚生労働省令で定めるところにより、医師による健康診断を行なわなければならない」と規定し事業者側に義務を課しています。ここでいう健康診断は、人間ドックではないので、事業者は、労働者に通常の健康診断を受けさせている限り、法律を遵守していることになります。ですから、私は人間ドックではなく検査項目が少なく、体や精神への負荷も少ない健康診断を選んでいます。

しかも、労働者が健康診断を拒否した場合、会社によっては、就業規則に受診を拒否した労働者を懲戒処分することができる規定があれば、労働者を処分することも可能です。就業規則違反ということです。

なぜここまで法律は執拗に健康診断を強制しようとしているのでしょう。このようなことをしているのは日本だけです。私は、医師会や製薬業界が、労働安全衛生法に健康診断の義務規定を設ける働きかけをしたと思っています。そもそも、健康など本人の自己責任です。多くの国民が事業者に雇用されていますから、事業者に対する健康診断の義務規定を設けることで、大きく網をかけることができます。そして、「病人」をつくりだすことで、医師も製薬会社もビジネスが創造できることになります。

このように考えると、一労働者として会社や産業医に迷惑をかけず、最大限できることが、一般の健康診断の受診と再受診となるわけです。自分自身はいたって健康です。LDL高値が高いのは、昨年から糖質制限食など試しているかなのですが、今は少し緩めています。原因は医師よりも自分が理解しています。自分の健康は、自分の責任で管理していきたいとあらためて思いました。

バラバラの個性が生き残りのカギ

「個性を活かす」とか「個性を尊重する」などと学校でも会社でもいわれます。実際は個性をできるだけ均質化あるいは均一化する学校教育や社員教育が行われているので、いっていることとやっていることが合致しません。

管理する側からすると、たしかにバラバラよりも、ある程度整っている方が管理しやすいでしょう。先生はできるだけ同じ学力の生徒に、そのレベルに合わせて授業をしたほうが楽です。個性が大切だからといって、一人ひとりオーダーメードの授業は手間暇がかかって不可能でしょう。会社も管理する側からすると、ある一定の評価項目で全従業員を評価する方が楽で、それぞれバラバラの業績評価というのは、かなり困難だと思われます。

しかし、組織や社会が永続的に発展あるいは進化するためには、意図的にバラバラな個性に手を付けず放置した方が良いのかもしれません。

稲垣栄洋『はずれ者が進化をつくる』(ちくまプライマリー新書、2020年)によると、19世紀のアイルランドで飢餓が発生したのは、ジャガイモの品種を一つに揃えたためだそうです。収量の多い優れた品種のみを栽培していましたが、胴枯病という病気に弱く、アイルランドのジャガイモは壊滅的な被害を被ったそうです。

また、オナモミという雑草の実の中には、やや長い種子とやや短い種子の二つの種類があるそうです。長い種子の方はすぐに芽を出しやすく、一方の短い種子は、なかなか芽を出さずにのんびりしています。なぜなら、その時の環境によって、早く芽を出した方が良い場合と、遅く芽を出した方が良い場合があり、あえて異なる長さの種子を二つ用意してリスクを分散しているそうなのです。

また前回、リンクのとおり、アリの世界の話で、よく働くアリが3割で、残り7割は働いておらず、それでもその7割のアリにも組織の存続に必要であることを紹介しました。

能力主義は人々の価値を破壊していないか - スペシャリストのすすめ

翻って考えてみると、リスク管理の観点でも、人間界は多様性があった方が安全です。均質・均一な考えの人しかいないと、その時のリーダーが誤った方向に進んだとき、全員が誤った方向に進みます。一部でも大勢の人とは異なる方向に進む人たちがいる方がリスク管理の観点でも安全であるということです。

第二次世界大戦でも、国民は国家のリーダーに従い、大きな過ちを犯しました。もちろん、当時戦争に反対した一部の人がいましたが、非国民ということで投獄され、誤った方向に進まないためのブレーキにはなり得ませんでした。あまりにも少数であっため、多数派に圧倒されてしまい、その存在は黙殺されていました。

直近では、コロナ対策に合理的な根拠がないにもかかわらず、雰囲気で大勢の人が国や地方自治体の指示に従いました。経済は大打撃を受け、国民は分断され、これからますます被害が拡大しそうです。それでも、少数ではありますが、非合理な施策に異議を唱える人がいたので、その人たちのおかげで多少はブレーキがかかったのではないでしょうか。それでも少数派は10%いるかいないかだと思います。

おそらく、これからますます個性はそのまま活かす方向で世の中は進んでいくと思います。グローバリゼーションというのも終わりでしょう。人類の存続や進化のためにも多様性や多極化というのことが前面に出てくると思います。そう考えると、自分の個性をどのように組織や社会で活かしていくか考えていくことが必要だと思いました。「私だからやるべきこと」というのがそこはかとなくないでしょうか。何か興奮してワクワクする分野が私たちの取り組むことなのだと思われます。

能力主義は人々の価値を破壊していないか

学校、会社、日本あるいは世界の市場など、どこでも能力主義がはびこり、競争が善であるという考えが行き渡っています。私は『学び直しで「リモート博士」』(アメージング出版、2023年)でもはっきりいいましたが、自分自身は新自由主義者ではなく、競争が善だと思っていません。

自分の経験からも、今までの日本の経済や、世界のグローバリゼーションをみても、能力主義や競争が価値を創造しているとは思っていません。むしろ価値を破壊しているといっても良いでしょう。理由は能力主義における勝者は一部で、あとは敗者ということで整理されると、多くの敗者はモチベーションを失い、社会全体は価値を創造する力を奪われるからです。これは社会として損失です。

アリの社会では、よく働くアリは3割程度で、残りの7割は働いていないというのは有名な話です。長谷川英祐『働かないアリに意義がある』(中経の文庫、2016年)によると、この働かないで何もしていないアリの中には、生まれてから死ぬまで働かないアリもいるといいます。ただ、その働かないアリにも存在意義があり、働いているアリが疲れて働けなくなると、その働いていなかったアリが巣の存続のために働きだすといいます。しかも、その働かないアリの無駄なように思える行動が、アリ社会にイノベーションをもたらすこともあるそうです。

人間社会をみると、まず学校では成績を基準に競争をさせられますが、学力のある生徒が、学力のない生徒よりも価値が高いように思わされます。しかし、学力があろうがなかろうが、すべての生徒が世の中に出てから活躍のチャンスがあるわけです。しかし、その大切なことは学校で教わりません。ダイバーシティとかサステイナビリティなどという美辞麗句ばかりが躍り、能力主義では説明できない人々の価値というものを教えません。成績が良いエリート層だけで世の中が回っているわけではないことをなぜ教えないのでしょう。

会社では、能力主義で限られたポストを獲得するための競争をさせられますが、ポストに就けなかった人は価値がないと思わされ、これまた彼らのやる気を奪います。役割や機能が異なるだけで、組織における役職など、飾りでしかないはずです。実際に大企業で出世したといわれる役員をみてください。実務を遂行する能力はほとんど失われており、組織で生き残る技術を駆使してい日々やり過ごしている人が多いと思いませんか。しかし彼らは権限と予算を与えられ、組織にいる間はパワーを付与されています。しかし、組織を離れると、そのパワーは組織に置いていかなければなりません。エリート層が作った能力主義の枠組みの中で出世しましたが、単に組織の内部における機能が違うだけだということを忘れがちです。

そして、日本や世界の市場で戦う企業も同じです。市場シェアや利益水準で競争し、より多くのシェアと利益を獲得した企業に価値があり、そうでない企業の価値は低いとみなされます。それは株価という数字になって端的に表されます。しかし、いずれも限られた市場を前提にパイの奪い合いをしているだけで、市場全体に価値を付与して市場を拡大させているわけではありません。人々の豊かさとも無関係で、むしろ貧富の格差は拡大します。さらに、勝ち負けのゲームによって、負けた企業の価値を破壊していることになっています。

私は能力主義で人々が幸せになるとは思えません。能力主義における目標は、成績であったり、数字であったり、市場シェアであったり、利益であったりします。しかし、それは世の中のエリート層が作った基準でしかありません。これは、一部の勝者以外の他者の価値を破壊し、やる気を奪うための仕組みになっています。本当に社会全体の価値を創造したいのであれば、能力主義ではなく、アリの社会のように、各自の役回りを認めて、それぞれの能力を使って、すべての人が価値を創造することに邁進することではないかと思います。能力主義実力主義、ひいては資本主義というものが価値の創造や人々の幸福とは無関係の幻であるということに気づかなければならない時かもしれません。