「個性を活かす」とか「個性を尊重する」などと学校でも会社でもいわれます。実際は個性をできるだけ均質化あるいは均一化する学校教育や社員教育が行われているので、いっていることとやっていることが合致しません。
管理する側からすると、たしかにバラバラよりも、ある程度整っている方が管理しやすいでしょう。先生はできるだけ同じ学力の生徒に、そのレベルに合わせて授業をしたほうが楽です。個性が大切だからといって、一人ひとりオーダーメードの授業は手間暇がかかって不可能でしょう。会社も管理する側からすると、ある一定の評価項目で全従業員を評価する方が楽で、それぞれバラバラの業績評価というのは、かなり困難だと思われます。
しかし、組織や社会が永続的に発展あるいは進化するためには、意図的にバラバラな個性に手を付けず放置した方が良いのかもしれません。
稲垣栄洋『はずれ者が進化をつくる』(ちくまプライマリー新書、2020年)によると、19世紀のアイルランドで飢餓が発生したのは、ジャガイモの品種を一つに揃えたためだそうです。収量の多い優れた品種のみを栽培していましたが、胴枯病という病気に弱く、アイルランドのジャガイモは壊滅的な被害を被ったそうです。
また、オナモミという雑草の実の中には、やや長い種子とやや短い種子の二つの種類があるそうです。長い種子の方はすぐに芽を出しやすく、一方の短い種子は、なかなか芽を出さずにのんびりしています。なぜなら、その時の環境によって、早く芽を出した方が良い場合と、遅く芽を出した方が良い場合があり、あえて異なる長さの種子を二つ用意してリスクを分散しているそうなのです。
また前回、リンクのとおり、アリの世界の話で、よく働くアリが3割で、残り7割は働いておらず、それでもその7割のアリにも組織の存続に必要であることを紹介しました。
能力主義は人々の価値を破壊していないか - スペシャリストのすすめ
翻って考えてみると、リスク管理の観点でも、人間界は多様性があった方が安全です。均質・均一な考えの人しかいないと、その時のリーダーが誤った方向に進んだとき、全員が誤った方向に進みます。一部でも大勢の人とは異なる方向に進む人たちがいる方がリスク管理の観点でも安全であるということです。
第二次世界大戦でも、国民は国家のリーダーに従い、大きな過ちを犯しました。もちろん、当時戦争に反対した一部の人がいましたが、非国民ということで投獄され、誤った方向に進まないためのブレーキにはなり得ませんでした。あまりにも少数であっため、多数派に圧倒されてしまい、その存在は黙殺されていました。
直近では、コロナ対策に合理的な根拠がないにもかかわらず、雰囲気で大勢の人が国や地方自治体の指示に従いました。経済は大打撃を受け、国民は分断され、これからますます被害が拡大しそうです。それでも、少数ではありますが、非合理な施策に異議を唱える人がいたので、その人たちのおかげで多少はブレーキがかかったのではないでしょうか。それでも少数派は10%いるかいないかだと思います。
おそらく、これからますます個性はそのまま活かす方向で世の中は進んでいくと思います。グローバリゼーションというのも終わりでしょう。人類の存続や進化のためにも多様性や多極化というのことが前面に出てくると思います。そう考えると、自分の個性をどのように組織や社会で活かしていくか考えていくことが必要だと思いました。「私だからやるべきこと」というのがそこはかとなくないでしょうか。何か興奮してワクワクする分野が私たちの取り組むことなのだと思われます。