職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

社会運動としてのSDGsとの付き合い方

私は、SDGsと適宜付き合っていけばいいというスタンスです。なぜなら生真面目に17の目標を理解し、すべて達成しようとすると矛盾が生じるからです。静岡県立大学・副学長の酒井敏『カオスなSDGs』(集英社新書、2023年)を読めば納得できます。副題は「グルっと回せばうんこ色」です。

たしかに、子どもの頃にいたずらしたことを思い出すと、あのカラフルな色の絵具を混ぜれば限りなくグレイとか黒色に近づいた記憶があります。これは、酒井教授がSDGsバッジを見て思いついた一句だそうです。

たとえば、SDGsの2番目に「飢餓をゼロに」という目標があります。これを達成するためには、農業の生産性を上げるために農薬を大量に使う必要があるかもしれません。ところが、3番目の目標である「すべての人に健康と福祉を」という目標と矛盾します。

17の目標の間にはこうしたトレードオフの関係が生じる矛盾があります。人間の社会が誰も全体を把握していない一種の生態系として成り立っているので仕方ありません。よって、SDGsは「きれいごと」といわれるのも当然なのです。しかし、社会変革を起こすには、このぐらいのきれいごとを声高に主張しなければならないのでしょう。よって、私はSDGsを社会運動の一つだと捉えています。

脱炭素というのも不思議なものです。二酸化炭素はそもそも毒ではありません。むしろ植物には必要不可欠な存在です。そして、植物の光合成から排出される酸素から、私たちにとって必要は酸素が生まれるわけです。小学生でも学ぶシンプルな知識ではないでしょうか。これを人間の力で調整してしまっていいのか疑問です。かえって人類にとって深刻な事態にならないのでしょうか。そもそも、地球温暖化が人間の活動が原因であるという決めつけも本当に正しいのかは証明できていません。50年後や100年後を予想するのはほぼ不可能といっていいでしょう。

海洋に流れるプラスチックごみも問題になっていますが、本当はすべて焼却処理をすれば問題にならないわけです。プラスチックを本格的に使い始めた1950年から2015年までの65年間に、世界でおよそ63億トンが廃棄されたそうです。そのうち8億トンは焼却処理され、6億トンのみリサイクル、残りの49億トンは大部分が埋め立てられているということです。結局、分別回収して、その後しっかり管理されていないと海に流出したものもあるでしょう。

日本でも分別収集することが徹底されていますが、リサイクルに回されるプラスチックはそれほど多くありません。環境省によると、2013年に発生した940万トンの廃プラスチックのうち、リサイクルに回されたのは25%、焼却処分が67%、埋め立て処理が8%だそうです。

分別収集のコストを考えると、そこまで徹底することなのかと思いませんか。その点、プラスチックも燃えるわけなので、程度の問題はありますが、多少の量であれば燃えるゴミと一緒に処分しても問題はないと考えることもできます。どこまで神経質になって徹底するかは個人の判断に任せてもよいでしょう。

個別の論点を議論するとキリがないのですが、結局、自然界に起きる現象は予測不可能であるということです。誰も予想できないし、正解を知らないわけです。政府や国連がいうから正しいということもありません。もちろん、一部の研究者の研究結果に基づき施策が打たれていますが、別の研究者から間違いを指摘されています。

結局、正しい答えはわからない、あるいは正しい答えは一つではないということかもしれません。このような事情を踏まえると、今後のSDGsとの付き合い方も変わってくるのではないでしょうか。