職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

「終身雇用制」など存在していない

わが国の雇用慣行について、基本的に終身雇用だから、というのはよく聞く話ですね。でも以前から、この終身雇用という日本語が不思議でした。終身雇用といいつつ、定年制があるのですから、終身ではありません。終身の意味は、命を終えるまでの間、すなわち、生涯、一生、終生のことであり、終身独身や終身保険という時にも使われる表現です。

なぜこのような誤用が生じたのか不思議でしたが、先日、岡本大輔「終身雇用制:再考」三田商学研究53巻3号(2010年)に接し、謎が解けました。

岡本氏の論文によると、終身雇用という言葉は、アベグレンの『日本の経営』(原題The Japanese Factory)に出てくる、permanent employment system, lifetime commitment, lasting commitment などの概念を、翻訳者が「終身雇用」と訳したのが原点ということのようです。

そして、この終身雇用という言葉が独り歩きし、日本に定着してしまったのでしょう。そもそも法律の条文には、終身雇用などという文言は一度も出てきません。著名な菅野和夫『労働法〔第12版〕』(弘文堂、2019年)でも429頁に一度だけ、長期雇用システムという言葉の補足として、括弧書きで「終身雇用制」と使われるだけです。

こうなってくると、有期労働契約に対する無期労働契約という語も怪しくなってきます。無期労働契約は、期間の定めがない労働契約です。たしかに、1年とか5年とか期間を定めていませんが、定年制で60歳や65歳という期限を設けているケースがほとんどです。結局、有期労働契約であることに変わりはないのに、無期労働契約といわれれば、希望すればいつまでも働けるような錯覚を起こしかねません。

残念ながら日本という国は、多くの人にとって働いても働いても豊かになれない国になりました。財布のどこかに穴が空いているとしか思えません。誰かに搾取されているのかもしれません。その犯人捜しをしてもどうしようもないので、ここは働けるところまで働くという選択肢が出てきます。

しかし、終身雇用制や無期労働契約という言葉は、多くの人にとって油断を与えてしまいました。60歳、あるいは65歳以降も活躍するための準備を怠らせることになったと思います。30歳、あるいは40歳でこの厳しい現実を受け止めることができた人は、着実に準備をしていると思いますが、大多数の人は土壇場になって気がつくわけです。

岡本氏は、いわゆる終身雇用制について前向きに捉え、失業の緊張感が少ない安定した社会を実現できるメリットがあることを指摘します。私もそのとおりだと思います。しかし、その安心感が、ある日突然、50代、60代のビジネスマンに過酷な現実を突きつけることも忘れてはいけないと思います。独り歩きする言葉は、時に無慈悲な結末をもたらすということを心得、事前に準備を怠らないということだと思います。