職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

能力があっても報われない世界

1999年当時、私がルーマニアという国をみてみようと思ったきっかけは、日本に出稼ぎにきているルーマニア人女性が、本当に能力がありながら仕事がみつからず、アジアの辺境の国、日本に来ていることに驚きを感じたからである。ブカレスト大学法学部に入学し、自分の国では仕事がなくてドイツ、イタリアで働き日本へ。日本のナイトクラブで夜8時から朝の4時まで仕事。しかも、想定外のトップレス・ショーまである。こんなルーマニア人女性がいたのである。たとえば日本の大学に入学し英語とイタリア語ができる女性が外国に出稼ぎに行くだろうか。日本には仕事がありそれなりの給料がもらえるはず。なんとも不思議な思いに駆られた。

私が彼女たちの会話のなかで一生忘れることができない言葉がある。ある一人のルーマニア人女性は次のように言った。

「日本のビジネスマンはクレイジーだわ。ナイトクラブにきて仕事で疲れた、疲れたという。もし仕事で疲れたのなら家に帰って家族と一緒に過ごして休めばいいわ。なぜ疲れているのにこんなナイトクラブに来て遊んでいるのよ。10年前の革命のとき、私の目の前で多くの友達や子どもたちが殺された。そんな経験をしている女の前で「仕事で疲れた」なんていわないで欲しいわ。」

まったく言葉が出ない。彼女たちにとって恐怖とは何なのだろう。海外から尊敬されないビジネスマン。彼女たちにはそんなふうに映っていたのか。

この国では能力があろうと、なかろうとそれなりの仕事に就け、それなりの給料がもらえる。しかし、ルーマニアでは能力があっても良い仕事に就けない人が一杯いる。彼らは必死で外国語を学び国外で仕事をみつけるチャンスを待つ。

多くのルーマニアの若者はアメリカに魅了され、アメリカを目指すがビザがとれない。そこで日本に6ヶ月のビザでやってくる。その間、日本語も勉強し滞在延長のチャンスを待つ。6ヶ月という限られた期間でどうするというのだろう。ビザの延長は相当難しいはず。もしビザが切れて帰国となれば、次にビザが取れるのがいつになるか分からない。EUになってから審査も厳しくなっているという。しかし、日本はアメリカへの通過点でしかない。

そして、20年前のルーマニアに比べれば、現在のルーマニアは豊になった。テクノロジー関連の会社が増え人材も豊富になってきているという。それでも、西欧諸国に経済格差のために搾取される構図は変わっていない。もっとも深刻なのは若者の国外流失である。典型的な頭脳流失(brain drain)の国であり人口減少国の一つでもある。西欧と東欧の問題については、ウィーン人口研究所(Vienna Institute for Demography)の図表をみれば明らかである。東欧の出生率が低くなり、移民が東から西へ移動していることがわかる。左側の地図が出生と死亡による人口増加を表し、左側の地図が移民による人口増加を表している。

さらに、ルーマニアは自然が豊かで人々も陽気な東欧ではめずらしいラテンの良い国なのに致命的な難点がある。それは汚職や腐敗が多くフェアではないということである。能力があっても努力しても報われない世界があるということである。今でもルーマニアの陽気な人々の背後に、そこはかとない寂しい雰囲気が漂っている印象は忘れられない。うまく表現できないが、人々は「ローマ人の国」を意味するルーマニアの人なのでラテン系の陽気な明るい人たちなのだが、街並みに共産主義時代の面影がありありと残っており、とにかく寂寥とした景色があった。その点、まだ日本はフェアな社会なのだろうか。日本の政治家の顔を思い浮かべると、徐々にルーマニアと変わらない不平等と腐敗が社会に蔓延してきているのではないかという懸念を抱かずにはいられない。日本の若者が本気で怒り、日本を飛び出してルーマニアのような国で活躍しだせば、日本の政治家も焦りを感じて政策転換を考えざるを得ないと思うが、さすがに現実的なシナリオではない。でもそれぐらいのことが起こって欲しいと思うほど、不条理が日本社会を覆っていると思う。

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