スペシャリストの生き方

自分だけの生態学的ニッチで生きる

就職活動が不要な「論文博士」

課程博士の就職難が改善されない。これは1990年代以降に大学院重点化政策が実施され、大学院生が急増したためといわれている。そもそも大学教員という就職先がそんなにあるわけでもないのになぜ大学院重点化がなされたのであろうか。もちろん、わが国の基礎的な研究力を強化するという大義があった。文部科学省は、就職先に民間企業があると考えたかもしれない。あるいは、新設大学を増やしたので、その分、就職先も同時に増やすという政策だったのだろうか。

しかし、数だけ増やしたが質が伴わない。そもそも大学院と学部の大きな違いは濃密な論文指導である。指導する側の教員は、大講義室でマイクをもって20歳前後の若者を相手に好きなことを言っていればよいというものではない。とにかく、良質な論文が書けるように日本語力も含めて指導し、いろいろな切り口や論点を提示し学生を導く必要がある。しかし、大学院重点化前であれば、限られた人数の大学院生を丁寧に指導できたであろうが、人数が増えたことで手が回らなくなったのであろう。結果、品質に問題がある大学院修了者が量産された。そして、20代前半の優秀な学生が社会で活躍する機会を失い貧困に陥る。なんとも残念な結果ではないだろうか。

その点、論文博士では就職の心配がない。そもそもすでに就職済みなのだから。就職して、現実の社会で一定の実務経験を積んだ社会人が博士論文に挑戦する分には、大学側も就職の世話は不要である。とくに、社会科学系で経済や経営、商学、法学の分野は現実の社会経験を積んでからのほうが実務に貢献する論文を書きやすい。大学院の中だけの研究で実務に貢献する内容を書き上げるのは、自分で実務を知らないのであるから難しい。よく、論文は学術的な水準が高くなければならないといわれるが、一般のビジネスパーソンも理解できないような難解な論文を書いても、世の中の発展には寄与しないのではないだろうか。多くの人に理解してもらおうという気迫が必要だと思う。そのような迫力は実務経験からもたらされる部分もあるかもしれない。文章に関してもビジネス文書は簡潔で要領を得ている必要がある。そのような訓練も博士論文では役立つであろう。