職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

知識・資産の量は幸福感につながらない

受験シーズンも終盤になり、多くの子どもたちが結果に一喜一憂していることでしょう。受験では圧倒的な知識量が試され、事前に徹底的に訓練を積んで挑む必要があります。そして、その受験を突破することで、その先に幸せが待っていると信じているのではないでしょうか。

たしかに、この世界では一定の知識を持っている人のほうが、そうでない人よりも有利に人生を送れるのかもしれません。私も膨大な本を読んで知識を身に付ければ、いい仕事に就けて幸せな人生を送れると思っていました。たしかにそうでしょう。

でも知識の量に比例して幸福感を得られるかというとそうではないと思います。またよく言われるように資産の量に比例して幸福感を得られるというとそうではないでしょう。

世の中で生きていくためには、ある程度の知識とお金があれば望ましいのは事実です。しかし厄介なことに、ここまでで十分という限界がないのが問題です。どこかで線を引けるのかというとそのようなものはありません。だから富裕層といわれる人でも、さらに富を追い求めて幸せを追求します。知識も飽くなき探究心で、次から次へと新しい情報を取り入れないないと気が済まないということも起こります。いつも欠乏感を持ち続けているわけです。

言い方によっては向上心があってよいともいえますが、幸せという観点からみるとこのような状況は不幸以外のなにものでもありません。「左脳過剰症候群」などという病名はないと思いますが、私も含めて多くの人はある意味でこの病気を患っているといえるでしょう。

幸せになりたいのであれば、今のこの状態を味わい幸せを感じるだけでいいはずです。なぜ未来のシナリオを勝手に考え、同じような思考をグルグル回しているのかわかりません。

一方、今この瞬間に幸せを感じるというのはいかに難しいことか、この1年で十分味わいました。どうも臨界点に達しつつあるように感じます。自分の経験からすると、この辺でそろそろ自分で用意した気づきのためのステージがやって来るように思います。

とりとめのない文章になりましたが、臨界点にきている気がする自分が、どのような文章を残すのか記録しておこうと思いました。