2025年出版予定の書籍『なぜ社会人大学院で学ぶのかⅡ』の編集をしています。そこで気づいたことは、人は多くの情報を受け取り、そこから自分に必要なものと不要なものを取捨選択しているということでした。当たり前のことですが、あらためて感じた理由をご説明します。
共著の問題は書籍全体の統一感がないことです。単に各自の原稿をまとめただけだと思われてもいけないと思い、執筆時に参考になる情報をリンクのとおり共有しました。
すでに何名かの方から概要や原稿をいただいているのですが、ここに記載されている助言をまったく考慮していないものが届きました。修正・校正してお返ししたのですが、おそらくいくつか理由はあると思います。たとえば、次のようなことです。
① 忙しくて確認していられなかった
② 興味がなく自分には必要ない情報と整理した
③ 自分のスタイルが確立しているので他者の助言に従わなかった
過去の経験から③の人はかなり珍しいと思います。ただ、プライドの高い人や自分が見えている世界がすべてだと思っている人、過去の成功体験に固執している人などはありうる反応だと思います。
今回の執筆者の方々にそのような人はいるとは思えないので、①か②ではないかと思いました。よって、「再度ご確認ください」という趣旨で2度目の情報共有をいたしました。社会人大学院で学ぶような方々なので、向上心もあるでしょうから、自分の文章を磨くという意味で確認してくれるとは思います。
わたしの場合、常によい文章を書きたいという意識があります。最近、自分の表記スタイルを変えたものは次のとおりです。
・「あり得る」⇒「ありうる」
・「めずらしい」⇒「珍しい」
・「位置付ける」⇒「位置づける」
よって、過去に出版した自著とこれから出版される自著の表記は進化しているわけです。「進化」しているかどうかはわからないので、違っているということですね。
いずれにしても、自分の文章を向上させるためにも先人の助言やスタイルというものを積極的に取り込んでいきたいと思います。