最近、コミュニケーションの難しさについて興味がありました。特に外国人と日本人の意思疎通は日本人同士より困難なのではないかと。しかし、社会人大学院のコミュニティの友人の指摘で目が覚めました。必ずしも人種や言語は意思疎通の障害にならないと。
彼の指摘は要約すると次のとおりです。文化の違いよりも結局個人の違いが大きいのではないか。育ちを文化と考えると、同じ日本人でも家族になれば国籍が違うくらい理解の難しいこともあると強く感じる、ということでした。
たしかにそのとおりです。30年以上前に大学院生だった頃、台湾や中国、韓国からの留学生のチューターをしていました。日本語のレベルはまちまちでしたが、日本語がうまくてコミュニケーションが上手な人と親しくなれ、そうでない人とは親しくなれなかったかというと、そのようなことはありませんでした。
これは言語化して説明するのが難しい、「相性」のようなものが影響していたと思います。多少日本語がうまくなくても、気の合う留学生がいました。もし言語のみでコミュニケーションが成り立つのであれば、私の経験は説明がつきません。言語や国籍以外の要素がかかわっているということです。現代科学では証明できない、その人が持っているオーラや振動というものもあるでしょう。
わが家の場合、日本とフランスの文化の衝突が常にあります。でもそれは妻と私、あるいは子どもたちと私という人間の衝突であって、異なる文化の衝突というのは言い訳に過ぎないのかもしれません。後付けの理由です。
外国人の友達もいますが、うまく感情的なつながりができなかったとき、言語や文化の違いにするのは便利ですが、もっとシンプルに人として理解し合えなかったというだけでしょう。また、そのとき共感を得られなかったというだけで時が経てば理解し合えることもあると思います。
ニューヨークのクリエーター・Eric Jeng氏の動画は、コミュニケーションについて考えさせられるよい内容です。アメリカ人向けに作成されているので、容赦ない英語ですが、ショート動画は字幕もあるので興味のある方は覗いてみてください。同じ文化圏に育ったアメリカ人でも多様であり、コミュニケーションについて答えが一つしかないわけではないことが理解できます。