これからは右脳の時代ということを理解できる記述に出くわしました。最近、行き詰まり感のあった自分にとっては、一つの道筋を示すくらいに腑に落ちる内容でした。
まず右脳を使うとはどういうことでしょうか。古代の人間を想像するに、森の中あるいはジャングルを歩くとき、なるべく音を立てないで進むでしょう。血に飢えた天敵がいっぱいいるわけなので。こうしている間にも風が自分の匂いを運んでいるかもしれません。
自分は全身の皮膚感覚で大気を感じ、風を感じます。耳から聞こえるあらゆる音に注意を向けます。油断なく周囲を見回し、息を殺して前に進みます。
集中力が高まるにつれ、不思議と恐怖を感じません。これは右脳が恐怖を抑える脳内物質を出しているからだそうです。恐怖に負けて走り出すと確実に襲われ死が待っています。
このとき、頭の中に言葉や思考はありません。命がかかっていて一瞬も気を抜けない状況において思考は邪魔なだけだからです。右脳が左脳の機能を抑えつけて活動させず、思考が消えている状態です。やがて自分の「個」という感覚が消えていきます。
全身の感覚に集中しながら進んでいると不思議な感覚が起こります。視野が広がり、自分という感覚が皮膚を超えて、森あるいはジャングルに広がり一体化します。そこにいる猛獣を含む他の生命も同じように感じ取ります。自分も生命であり、猛獣も生命であるものの、それはもう自分だけの分離した生命ではないということのようです。
そしていつの間にか自分は今日は死なないことを悟ります。代わりにいくつかの生命が猛獣に命を取られており、全体として地球上の生命は維持されています。
つまり右脳の時代というのは太古の人類に戻ることなのです。現代社会のように物理的な安全を確保され、資本主義というルールの中で競争をさせられている現代人は、左脳を酷使しながら生きていきます。
しかし、それも極限状態まできているのだと思います。もう限界なので、右脳の世界に回帰する必要があるのです。あれこれ理屈で考え悩み、ムダな思考で頭を満たしても幸せになれないことはわかってきました。
少なくとも私は理論の世界を追求してみたけれども、それが幸せと直結していないということに確信が持てます。思考を止める、思考を消す、という意味がわかっていませんでしたが、思考を止めて右脳で感じる直観を信じ、それに従う生き方をしていかなければならない時期だということです。
そして、その右脳はどこにあるのかというと逆説的ですが、脳ではなく体の真ん中あたり、あるいはハートのあたりとでもいいましょうか、頭ではない身体のあたりにあるようです。腑に落ちる、腹落ちする、腹を決めるなど、日本語で使いますが、頭ではなく腹のあたりに直観を感じ取る部分があるのかもしれません。
将来のキャリア、経済、投資、病気、戦争、災害等、あらゆる難題を自分の左脳を使い、理論的に解釈しよう、あるいは予想しようという試みは、ことごとく失敗します。理論には限界があるので、そんなことは明らかです。だから古代の人類のような直観に従う生き方、あるいは真実の情報をある次元からダウンロードするような方法を使って生きることが大切なのだと思います。
ただし、生まれてから今まで、徹底的に頭を使って考えろ、という教育を受けてきた私たちにとっては、左脳の逆襲は何度も来ます。理論の世界に引き戻されます。そのたびに、ハートで直観を得るための作業が必要になるのかもしれません。
私が腹落ちしたこの考えですが、ネドじゅん『左脳さん、右脳さん。』(ナチュラルスピリット、2023年)という書籍から得ました。呼吸法に詳しい近所の町医者がYouTubeで紹介していました。
その時は、そんなものかと聞き流しましたが、先日普段はいかない本屋で偶然見つけました。その日は購入しなかったのですが、どうしても気になって翌日購入したというものです。これなども理由はわからないけれども、自分の衝動に従ったおかげで得られた人生のヒントといえるでしょう。