スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

高等教育への投資が国力の源泉に(1)

少し大きなテーマで、私の手には負えないのですが、日本の高等教育のあり方について指摘しておきたいと思います。自分自身が大学院の博士課程まで修了して感じたことで、私一人の力ではどうにもならないことです。よって、できるだけみなさんと共有し、将来解決すべきテーマとしてお話しておきたいと思いました。

矢野眞和『大学の条件:大衆化と市場化の経済分析』(東京大学出版会、2015年)の分析をもとに、世界各国の高等教育を分類すると、次の四つに分けることができます。

①北欧型

ヨーロッパ大陸

アングロサクソン

④日本型

そして、①の北欧型は学費が無料でしかも給与が支給されます。②のヨーロッパ大陸型は学費が低いが給付型奨学金は充実していません。③のアングロサクソン型は学費が高いが給付型奨学金は充実しています。そして、④の日本型は学費が高くなおかつ給付型奨学金が充実していいません。

まず、学費が高く給付型奨学金がほとんど存在しない日本がいかに特殊であるかを認識しなければなりません。高等教育についてだけ考え、どの国に生まれたいかと問われれば、間違いなく北欧のどこかの国になるでしょう。あるいは、せめて②のヨーロッパ大陸型です。

いずれにしても日本型が最悪になります。アングロサクソン型の典型であるアメリカの学費は高額なイメージが強いですが、給付型奨学金が充実しているので最終的な学生の負担は軽いです。しかも、学生がローンを借りることができるので、親の経済力の問題で大学に行けないということが減るのではないでしょうか。

それにしても、なぜ日本の高等教育に多大な経済的負担がかかるのでしょう。また、最大の疑問は、なぜ誰も現状に文句をいわないのでしょうか。かつての学生運動の一つの争点は学費の値上げ反対でした。当時の感覚がまともで、何も異論が出ない今の感覚がむしろ異常です。

新自由主義のもとでは、すべてが自己責任ということになり、大学に行きたいものは自分で学費を払えということになります。

特に大学生の7割以上は私立大学に通っており、その学費は家庭からの支出です。しかも、その大学生たちが卒業して社会で活躍し、収入を得た後に税金を支払っているのですから、国家はその恩恵を受けています。もっと高等教育に対する機会の平等を確保するために投資をし、多くの人に大学等の高等教育を受けてもらうべきなのです。