職人的生き方の時代

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温暖化ムラに群がる科学者と「温暖化商人」

気候変動に関する政府間パネル(Intergovermental Panel on Climate Change、以下「IPCC」)や国連、先進国のリーダーたちは、必死に地球温暖化を材料にして、二酸化炭素削減を主張します。あまりにも科学的データとの乖離のある発言の裏には、何か儲け話があるのだろうと勘繰ってしまいたくなります。私にはそのカラクリや儲けの構造まで深く理解することはできませんが、少なくとも次の世代に大きな負債を残すことはわかるので、どうしても彼らの意見に賛同することができません。調べれば調べるほど、研究者の赤祖父俊一氏がいう、金儲けに狂う「温暖化商人」や、それを理論的サポートしようとする科学者の存在が浮き彫りになってしまいます。

2013年に出されたIPCCの第5次報告書は、二酸化炭素による気温上昇は、今後100年で4℃となっていますが、最近の観測に基づく気候感度の見積もりはずっと小さな値になっているそうです。その辺の詳細な分析は、深井有『地球はもう温暖化していない』(平凡社新書、2015年)に詳しく述べられていますが、もし気候感度が報告書の値の2分の1であれば、気温上昇は2℃程度となってしまいます。

仮定した気候感度が大きすぎるという欠陥を認識していながら、それによる予測をもとに報告書を作り上げてしまったということは、人為的に温暖化を強調するためにでっちあげられた報告書ということになります。専門家が読めばバレるようなことでも、報告書として出してしまうのは、何か焦りでもあるのかもしれません。

IPCCの使った気候モデルでは、水蒸気や雲の取扱いに課題があり、そもそもモデルに組み込むことが困難だということです。だから適当なデータを入力せざるを得ず、現実と乖離した結果が出てしまったということでしょう。

その後、心ある科学者から膨大な気球観測データを解析した論文も出されて、IPCCの報告書の矛盾が指摘されることになるのですが、そのような論文は発表されるまで妨害にあったり、発表された後もその論文を否定しようとする論文が多く出されるようなことが生じています。とにかくIPCCの報告書を信奉する研究者は、なりふり構わず温暖化懐疑論者を攻撃しまくります。もうそれは科学とは呼べない領域まで踏み込んでしまっていることになります。

温暖化信奉論者の主張はもう科学ではないという点では、アル・ゴアの映画で、北極海の氷が消えて、行き場を失ったシロクマが吠えている映像も、それはすでにイメージ戦略、あるいはマーケティング戦略といえるものかもしれません。専門家の分析によると、海氷が減っているのは気温上昇が要因ではなく、海流の変化によるもで、実際に南極では海氷が増え続けているということです。さらに、北極でも2013年からは海氷面積が増加に転じているということです。

結局、IPCCは、温室効果ガスによる地球温暖化を前提に作られた組織なので、科学的根拠について中立的ではあり得ません。「先に結論ありき」で、無理な操作を繰り返すことで報告書の辻褄が合わなくなっているということです。

地球物理学が専門の深井氏が強調するのは、大気中の二酸化炭素のために、今後100年で問題にするほど温暖化することはなく、それ自体は害をもたらすことはないといいます。考えてみれば、植物は光合成によって二酸化炭素を吸収し酸素を出しており、その植物を人類が食料とするわけですから、二酸化炭素だけが悪者になり、削減の対象となるのも不思議なものです。小学生でも習うことではないでしょうか。

そして、原子力発電に群がる原子力ムラと同じく、温暖化対策の予算の周りには、温暖化ムラができあがっているといいます。この予算の源泉は庶民が支払った税金であることを忘れてはいけません。そして、政・官・学・産を巻き込んだ利権集団を何としても解体しなければといいます。

深井氏は、70代半ばを過ぎて、戦時中のころを思い出すそうです。どうやら雰囲気が当時と似ているからということ。先の見えない閉塞感の中、「地球温暖化防止」という大義のもと人々が二酸化炭素削減に励んでいる様は、アジアから鬼畜米英を追放して大東亜共栄圏を構築するのだという国民的熱狂と同じ雰囲気を感じるようです。世の中がある方向に向かって一斉に流れるときこそ、立ち止まって冷静に考えることが必要なのでしょう。