スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

争うことのない縄文人の生き方

縄文時代のことを知ろうと思い、子どもに日本史の教科書をみせてもらったものの、重要な記述はみられなかった。学校の教科書というのはこういうものかと思った。しかし、以前購入していた河合敦『スーパービジュアル版 早わかり日本史』(日本実業出版、2005年)を確認すると興味深いことが書かれていた。

まず、縄文時代を1万年以上続いた平和な時代と整理する。そして、日本人はその昔、少人数で洞窟や穴蔵を転々としながら狩猟中心の生活をして過ごしていたとのこと。非常い重要な点は、この時代に人間同士が互いに武器をとって殺し合う戦争はなく、まことにのどかで平和な時代であったことである。実際に当時の人骨に争って殺された形跡はみられないというのを何かで読んだことがある。

しかしその後、この安定した生活を破壊したものは、なんと縄文晩期に導入された稲作技術であった。良い田を持つ者と持たざる者、高い稲作技術を有する者とそうでない者との間に貧富の差が生まれ、他人の収穫物や土地、富や労働力を奪う人間が現れた。こうして戦争がはじまり、弱肉強食の弥生時代がはじまったということである。日本人はお米だ、という思いがあるが、稲作が争いの原因になったというのは意外であった。稲作以前は、サケ、マス、クルミ、ドングリ、山菜などを食していたようである。地球の恵を素直に受けとり生活していたということだろう。

そして、縄文人には所有という概念もないので、土地も所有しなかった。土地は神から借りている、あるいは地球から借りているということであろう。この所有権という概念もやっかいで、争いのもとになる。

冷静に考えると、今は縄文時代ではなく、弥生時代の性質を色濃く残す時代である。競争は人間を進化させて、経済を成長させる。成長を続けるためにも、自分が生き残るためにも競争しなければならないという強い刷り込みがある。しかし、すでに時代は変わったのではないだろうか。確信もないし科学的な根拠もないが、いくつか考えるところがある。

たとえば、地球は歳差運動をしているという。地軸は公転面に垂直な方向に対して半径約23.4度の円を描くように移動し、約2万6,000年の周期で一回りしている。そして、千賀一生『ガイアの法則Ⅱ』(ヒカルランド、2020年)によると、この約2万6,000年を半分の約1万3,000年ずつ二つの時期に分けることができる。一つは分離性優位、二元性、父なる周期の時代と、もう一つは統合性優位、一元性、母なる周期の時代があるという。そして、1995年以降は母なる周期に入っているということである。他の説では、2021年12月21日頃から新しい周期に入ったというのも聞くところであろう。いずれしても、すでに新しい周期に入っている。

偶然にも縄文時代のスタートは、1万3,000年前であるが、それ以降、分離性優位の時代に徐々に入っていったのかもしれない。考えようによっては、縄文時代以前の旧石器時代は、何か宇宙とつながるような生き方もあったのではないか。その名残が、不思議な縄文土偶に現れていると想像するとロマンをかきたてるものがある。

たしかに、今は世界の変革期であるのは間違いなさそうであるが、次の時代をどう生きるのかというのは、それぞれしっかりと考えて、自分で決めていく必要がありそうである。縄文時代に戻ることを退化と考えるか、むしろ人類としての進化と考えるかは人によって異なるかもしれない。しかし、私は統合性優位、一元性、母なる周期を意識して生きていきたいと思った。